◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第209回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第209回
第10章──審理 55
検察側の剱持と弁護側の園山、二人の専門家証人への「対質尋問」が始まる。

「危険だなあ、そういう安直な考えは。劣化したDNAであっても、PCR増幅の際にもし他の夾雑物(きょうざつぶつ)が混じっていたりすれば、それが干渉してフラグメントアナライザーがそれらしい数値を拾っちゃう可能性だってあるだろうに」

「園山証人?」

「ふふっ」園山は噴き出した。「いくら何でも反論が雑過ぎませんか、剱持先生? 裁判員の皆さんがDNA型鑑定に詳しくないからって、あんまり適当なことを言ってもらっては困ります。劣化試料のDNA型鑑定の最大の特徴は、結果が不規則なこと。もしあれが本当に劣化試料なら、二段階細胞融解法という前処置まで行っているにもかかわらず、遠藤鑑定と私の鑑定がすべてのローカスでぴったり一致することなどまずあり得ません」

 剱持が眉間に皺を寄せた。

「剱持証人、意見はありますか?」

「さっきも遠藤が先生にネチネチ責め立てられてつい『断言』なんて口を滑らせちゃってたけど、科学の世界に『絶対』なんて言葉はないんだよ。園山証人の態度はとても科学的とは言えないなあ」

「あなたも先ほど煙草の吸い殻のDNA型鑑定では、『ほぼ百パーセント間違いない』という言葉を使っていましたが?」志鶴は指摘した。

「はあ、あれとこれを同じレベルで語っちゃう?」剱持が挑発的に眉を上げた。「あのさ、煙草の吸い殻には漂白剤なんかかかっていなかっただろ。だから状態のいいDNAが採取できたの。もう一つ。あっちの試料には被告人のDNAっていう、答え合わせできる対照試料があった。そういうの、味噌(みそ)も糞(くそ)も一緒ってんだよ。これだから素人は」

「園山証人?」

「とっても誘導がお上手ですよねえ、いいえ、誤導と言った方が正確だな。今の剱持証人の証言には『劣化試料』と『対照試料』という二つの論点が含まれています。まず劣化試料について反論します。対照試料の問題については、そのあとで。さて、剱持証人は、煙草の吸い殻のDNAの方が精液のDNAより状態がいい、というように誤導しています。口腔内細胞から採取したDNAなどと異なり、野ざらしの現場のDNAは時間や周囲の環境の影響でどんどん劣化していきます。煙草の吸い殻と増山さんの口腔内細胞のDNA型鑑定のエレクトロフェログラムを見せてください」

 志鶴は二つが比較できるよう法廷カメラの下に置いた。

「たしかにどちらもすべてのローカスで型は一致している。でもよく見てください。この二つの間に違いがあるのがわかりませんか? 同じローカスの同じ型に注目すると、すべてのピークの高さは煙草の吸い殻より口腔内細胞のDNAの方が高い。ピークの高さはRFUという単位で示してありますが、これは型判定ソフトで読み取るときの蛍光強度の単位のことで、DNAの濃さを示しています。煙草の吸い殻のDNAのピークが低い理由としては、時間の経過やたとえば日光や空気に触れての酸化など周囲の環境の影響が考えられます。つまりこれも、広い意味で言えば劣化試料なんです。現場で採取された試料はすべてそう」剱持に目を向けた。「さっき剱持証人は『劣化試料からの鑑定結果を証拠とするのは適正でない』と証言しましたが、まったくそんなことはありません。科警研も科捜研も、劣化試料からの鑑定結果をこれまで当たり前にばんばん証拠として法廷に提出して、それで有罪にされた人がごまんといるというのが真実です。川村先生、今度は、煙草の吸い殻と精子のDNAを並べてください」

 志鶴は言われたとおりにした。

(つづく)
*次回は9月27日に更新予定です

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.60 成田本店みなと高台店 櫻井美怜さん
◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載最終回