◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第21回

確たる物証を警察がつかんでいないなら──そう考えていた志鶴に衝撃のニュースが!
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増山家を出るとき、文子の顔が外で待ち構えているマスコミの目に触れぬよう、ドアを開けるのを最小限にとどめた。素早くドアを閉め、文子が中から施錠するのを確かめてから、手を離す。
フラッシュの嵐を背中に浴びていたので、門扉の方へ向き直るとき、顔の前にバッグを掲げた。門扉を押して外に出る。人が押し寄せてきた。
「増山容疑者の弁護士さんなんですよね? 話を聞かせてもらえませんか」
「増山容疑者のお母さんは何と言ってました?」
「中でどんなお話をされたんですか」
あちこちからマイクやICレコーダーが突き出される。永江誠は、志鶴が増山淳彦の弁護人であると公言したらしい。志鶴は取材陣の言葉を一切無視して足早に歩いた。フラッシュを感じなくなってバッグを下ろす。それでもまだ十人ほどが志鶴についてくる。
「記者会見やるんですよね? いつですか?」
「通ります! 通してください」志鶴はそれだけ言って公道へ向かう。
「逃げないでちゃんと答えて!」
道を空けるどころか明らかに意図的にぶつかってくる者もいたが、ひるまず進む。
「増山淳彦は罪を認めてるんだよね? 死体遺棄だけじゃなく、殺人もやったんじゃないの?」
「ていうか君、まだ若いけど本当にこの事件引き受けたの? こんな大事件の弁護できるの、マジで?」
「弁護士さんも、われわれを上手(うま)く使えるくらいじゃなきゃ今時駄目でしょー。マスコミ敵に回すってことは、お茶の間を敵に回すのと一緒よ? 裁判官も世論や報道の圧力に弱いってのは常識でしょー」
質問というよりもはや挑発だった。取材相手を怒らせて本音を引き出そうという魂胆なのだろう。だが、志鶴はたとえ単語一つであっても情報を与えるつもりはなかった。
公道へ出、常磐(じょうばん)線の綾瀬駅がある方向へ進む。沈黙を貫くと、ついてくる人間は一人また一人と減っていき、やがていなくなった。
「俺たち無視して後悔しないといいけどな」
最後の一人となった男性は、志鶴に向かってそう捨て台詞(ぜりふ)を吐いた。
改札を通ってホームに上がり、誰もついてきていないことを確認すると、とたんに、バッグがずしりと重みを増した。大きく息を吐く。午後七時三十五分。昼過ぎに事務所を飛び出してから飲まず食わずだ。食欲はないが、ひどく喉が渇いていた。下のコンコースにあった自販機で買ったペットボトルの緑茶を一気に喉に流し込む。生き返るような心地がした。
警察が増山淳彦を参考人としてピックアップした根拠──それが十六年前、綿貫絵里香が通っていたのと同じ中学校へ侵入した事件なら、戦える余地はある。
増山は四十四歳。十六年前は二十八歳。その年で中学生の女子に対して性的欲望を抱くのは世間一般には不健全とみなされるだろう。これだけの大事件で何が何でも犯人を逮捕したい警察が彼を疑うのは至って自然だ。
だがそれは証拠にはならない。
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