◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第216回

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第10章──審理 62
誰が供述調書を作成し、誰が署名させたのか。志鶴は尋問の手を緩めない。

「漂白」目次


「あなたの証言によれば、少なくとも三時間以上事件との関係を否定していた増山さんが、ソフトボールの試合映像を見せたとたん、観念して綿貫さんの死体遺棄を認めたということになります。そうですね?」

「とたん、というのは違うと思います。試合映像を見せても、被告人はすぐ死体遺棄を認めたわけではなく、抵抗していました」

「あなたの証言では、取調官が死体遺棄について追及したという表現はありませんでした。増山さんが生前の綿貫さんを知っていただろうと執拗に追及したのと対照的にです」

「言ってませんでしたか? ソフトボールの試合映像のあと、死体遺棄についても質問をしていました」

「殺人についても訊いたんじゃないですか」

「えっ──」

「増山さんが『ごめんなさい、もう許してください』と言ったのは、柳井係長に綿貫さんの殺害について追及されたことが原因でした。その後『帰りたい。帰してください』と立ち上がったのは、柳井係長があなたに、増山さんが実際には供述していない、綿貫さんの殺害を認める内容の供述を作文し、調書を作るよう命じたからでした──」

 青葉が異議を発したが、志鶴が被告人質問で増山が証言する旨を主張すると能城が棄却した。

「あらためて質問します。柳井係長はあなたに、増山さんが綿貫さんの殺害を認める内容の供述を作文し、調書を作るよう命じましたね?」

「していません」険しい顔で答えた。

「この法廷で噓を述べると偽証罪に問われる可能性があります。ご存じですか」

「知っています」目をすがめた。

「あなたは作成した供述調書を机の上のプリンターで印刷した。そうですね?」

「いいえ」

「印刷した調書を柳井係長が増山さんに向かって読み聞かせた。そうですね?」

「いいえ」

「読み聞かせたあと、柳井係長は増山さんに署名するよう迫り、増山さんの手にボールペンを握らせた。そうですね?」

「いえ」目は一点を見つめたままだった。

「増山さんは涙を流して、『ごめんなさい、もう許してください』と懇願した。すると柳井係長に代わって北警部が増山さんに、どうしても無実を主張したければ裁判で裁判官に訴えればいい、と言った。そうですね?」

「いえ」

「特別に罪を軽くした、死体遺棄だけの調書を作り直す──増山さんに、それに署名すればいいと北警部は言った。裁判員の目を見て答えてください。そうですね、灰原巡査長?」

 灰原は目を上げたが、裁判員たちに焦点を合わせることなく、「いえ」と答えた。相手が否定するしかない質問を続けると、否定したことが積み重なって裁判員に既成事実のような印象を与えてしまう危険もある。だからといって弁護側の事実をぶつけないわけにはいかない。ぶつける際にはプレッシャーを最大限にかける。安穏と噓はつかせない。

「あなたは北警部に命じられ、死体遺棄を認める供述調書を作成した。そうですね?」

「いえ──」

「えっ、あなたは死体遺棄の供述調書を作っていないんですか?」ことさらに驚いて見せた。

「あ、いえっ──作りました」こめかみに汗が浮かんだ。

「何で噓をついたんですか」

「う、噓じゃなくて間違えただけ──」

「なぜ間違えたんですか?」

「何でって……」

「それまでの質問で事実を否定し続けていたから、事実に即した私の質問も否定してしまったんじゃないですか」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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