◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第21回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第21回
第一章──自白 16
確たる物証を警察がつかんでいないなら──そう考えていた志鶴に衝撃のニュースが!

 訴追対象外非行、すなわち、訴追の対象となっていない犯罪や非行を検察側が犯人識別証拠とすることに、弁護人は極めて厳格な態度で臨むべきだというのが志鶴の立場だ。被告人の犯罪事実を立証するため、前科や類似した犯罪事実を示す証拠を提出すること──悪性格(あくせいかく)の立証──は原則として許されない。事実認定者に不当な予断や偏見、さらには敵意までをも容易に生じさせうるからである。

 たとえば、過去に七件の放火の前科を持つ被告人がいたとしよう。彼または彼女が、今また放火の罪を問われ、被告人として法廷に立たされていれば、事実認定者たちが、「どうせまたやったに違いない」と考えるのは、ある意味至って自然ではないだろうか。だがその、至って自然に思える、つまりは強固な先入観こそ、過去いくつもの冤罪を生む温床となってきたことは火を見るより明らかなのだ。

 綿貫絵里香の事件で、捜査員は十六年前、私立星栄中学校に侵入した増山淳彦の存在を知り、参考人として事情聴取をしたところ、増山が犯行を認める自供をした。この時点で警察は、彼が死体遺棄の犯人であると確信している。そこで、彼を逮捕した事実を公表した──現時点までの状況をそう仮定する。

 これだけの大事件で、不起訴処分や、あるいは公判で無罪判決が出るような事態はあってはならない。警察はそう考えるのではないか。であればこそ公表には慎重になるはず。自供だけでなく、確たる物証が出るまで裏付け捜査を行ってから発表するべきとするのが原則的な立場だろう。

 だが──これだけの大事件だからこそ、公表を急いだという可能性もある。世間の耳目を集める事件には、警察の威信がかかる。警察という組織は犯人検挙のプレッシャーに常にさらされているし、その巨大な組織を構成しているのは生身の人間だ。

 自供に加え、過去の訴追対象外非行という事実があれば、起訴は可能だ。訴追対象外非行を証拠にできれば、それだけで有罪にする線も見えてくる。今後の取調べと捜査により、さらなる物証が出てくれば──そしてそれはほぼ確実視されているだろう──少々フライング気味の公表も、問題ではなくなる。

 現時点ではすべて憶測だ。が、警察が増山淳彦の過去の訴追対象外非行のみを補強証拠として逮捕・公表に踏み切ったのであり、確たる物証をつかんでいないなら、増山淳彦と志鶴には充分に戦える余地がある。

 電車がホームに滑り込んできた。

 空席に腰を下ろし、ペットボトルをバッグに入れ、スマホを取り出す。ニュースサイトをチェックして、思わず声をあげそうになった。目に飛び込んできたのは、こんなヘッドラインだった。 

  死体遺棄事件の容疑者、被害者女子のソフトボールの試合で目撃

 十三日、足立区の荒川河川敷に綿貫絵里香さん(14)の死体を遺棄した疑いで逮捕された増山淳彦容疑者(44)が、遺体が発見される十日ほど前、絵里香さんが出場した、ソフトボール部の対外試合の場で目撃されていたと、警視庁が発表した。増山容疑者の姿は、当日、試合会場となった私立星栄中学校のグラウンドの外で目撃され、絵里香さんが所属していた同校ソフトボール部が撮影していたビデオ映像に映っていたという。

 速報だからだろう、全国紙の名が発信元になっているその記事は短いものだった。記事が発信された時刻は、志鶴が増山と接見している最中だった。

 他のニュースサイト、発信元が異なる記事でも同じ内容が報じられている。

 訴追対象外非行だけではない。警察は自白を補強する情況証拠──増山と被害者との接点──を持っていた。だから逮捕を公表したのだ。増山にもその事実を突きつけていたはずだ。

(つづく)
 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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