◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第220回

警察官の遵法意識が高ければ──。自白をめぐる志鶴と柳井係長の心理戦。
席に戻った増山に、綿貫の殺害を認める内容の供述調書を柳井が読み聞かせ、増山の手にボールペンを握らせ署名を迫ったことを、志鶴は訊ねた。柳井は灰原より上手にしらを切った。
「では、先ほど一本目に映像が再生された三月十三日の取調べについてお聞きします。取調べの中で増山さんから秘密の暴露はありましたか」
「ありました」
「それは何ですか」あえてオープンな問いを投げた。
「二つあります。一つは、絵里香さんの死体を遺棄した場所について。もう一つは、死体の向きです」
予想どおりの答えだ。相手の主張を補強してしまいかねない質問だが、後に弾劾するための布石として訊いた。
「犯罪捜査規範の第166条に何とあるか教えてください」
「やっぱり訊くんじゃないですか──"取調べを行うに当たつては、強制、拷問、脅迫その他供述の任意性について疑念をいだかれるような方法を用いてはならない"」
「あなたが今言ったのは犯罪捜査規範第168条です。私が訊いたのは、第166条でした」
柳井がしまった、という顔になった。灰原と違って法廷で噓をつくのに慣れている分油断があったのだろう。
「そうでしたね」だがすぐ取り繕った。
「第166条を」
「えー」思い出そうとしているようだ。「 "取調べに当たつては、予断を排し、被疑者その他関係者の供述、弁解等の内容のみにとらわれることなく、あくまで真実の発見を目標として行わなければならない"」
正解だ。「第167条の4項には何とありますか」
「 "取調べに当たつては、言動に注意し、相手方の年令、性別、境遇、性格等に応じ、その者にふさわしい取扱いをする等その心情を理解して行わなければならない"」得意げな顔で志鶴を見た。
「よく勉強されていますね」
「これくらいで勉強って──弁護士先生の嫌味ですか。われわれ警察官だって日々遵法意識を持って捜査してるんですがね」
「では、国家公安委員会が定めた『被疑者取調べ適正化のための監督に関する規則』の第3条2項に何と書いてあるか教えてください」
柳井が口ごもった。世良が異議を発したが、志鶴の意見を聞いた能城はそれを棄却し、「証人は答えてください」と促した。
「えー、『被疑者取調べ適正化のための監督に関する規則』は、取調べを適正に行うために定められた規則です。第3条の2項には──監督対象行為について記されている」
「そのとおりです」志鶴は言った。「『被疑者取調べ適正化のための監督に関する規則』が定められたきっかけは、鹿児島県で起きた志布志(しぶし)事件です。公職選挙法違反容疑で十三人が逮捕されたが、裁判で警察による拷問じみた違法な取調べの実態が明らかにされ、亡くなった一人を除く十二人全員に無罪判決が言い渡された最悪の冤罪事件でした。あなたはさっき『昭和の刑事ドラマじゃあるまいし』と発言しましたが、この事件が起きたのは平成十五年です。監督対象行為として何が定められているか教えてください」
「えー、被疑者の身体への接触」
「それだけですか。他には?」
目を閉じた。開けた。「便宜の供与」
「他には?」