◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第222回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第222回
第10章──審理 68
検事調べは完全に岩切のペース。増山の心は言葉巧みに揺さぶられ……。

「漂白」目次


『当たり前の話だけど、無実の人間を起訴したい検察官なんていない。もちろん君は黙秘していい。君が黙秘したままでも、起訴しようと思えばできる──』

 増山が顔を上げた。

『できるよ。君が黙秘していても起訴することはできる。真犯人だから、やましいから黙秘しているんだろうという判断も当然あり得る。常識的に考えればわかるよね。君が黙秘しようがしまいが起訴することはできるが、私としては、できるだけ真実を追求したいから、被疑者には正直に話してほしい』

 岩切がまた間を取った。

『それに、こういう考え方もある。もし君が無実なら、自分がやってないってことをちゃんと説明して、警察に裏づけ捜査をさせた方が得なんじゃないか? もし君が無実ならの話だけど。実際、私も以前、逮捕されたあとアリバイを主張した被疑者がいて、警察に調べさせたらそのアリバイが本当だったので、釈放させたことがあったりした』

 増山の視線が左右に忙しく動く。

『心が揺れているようだね。もちろん君自身が決めることだ。私個人の意見とかじゃなくあくまで一般論として聞いてほしいんだけど、現実には自白していない被疑者に起訴猶予処分を出すのは非常にレアなケースなんだ。被疑者が自白していないと、よほど特別な事情がない限り起訴猶予にはできない。くり返すけど、これはべつに私の個人的な意見じゃなくて、多くの検察官が同じような基準で判断しているという現実の話にすぎないからね』

 岩切はそこで言葉を切った。沈黙の中、増山の悩んでいるような表情が流される。その目が岩切を見た。

『どうした? 何か言いたいことがある?』

 増山は口を開き、何か言いかけたがまた閉じた。

『言いたいことがあるなら何でも言ってくれてかまわないよ。さっきも言ったように、私としては君の言い分を聞かせてほしいと思ってる』

 すると増山は口を開け、『お、俺……やってないです』と言って視線を上げた。

『やってない? 絵里香さんの死体遺棄をしていないということかな?』穏やかな口調だ。

『は……はい』

『そうか。やってないのか。ならなぜ足立南署の取調べではやったと認めたのかな?』

『さ、最初はやってないって言ってたんです。でも、全然聞いてもらえなくて。お前がやったんだろうって何度も何度も言われて──』苦しげな顔になった。

『そうか。増山も辛かった。そうだね?』

 増山はうなずいた。目に涙が滲んでいた。

『だが警察官も君が憎くてそうしたんじゃない。罪を憎んで人を憎まず。絵里香さんをあんな目に遭わせた犯人をどうしても捕まえたくて必死なんだ。それはわかってやってほしい』

 岩切はそこで、生前の綿貫のソフトボールの試合を観ていたことを増山に確認し、その理由を訊ねた。増山は、新聞配達のエリアが変わったのがきっかけだと答えた。

『なるほど。たしかに、そんなエリアを担当させられたら、気になるよね。十六年前も、ソフトボールの試合を観て中学校に侵入したって記録にあるけど、中学生くらいの女の子に興味があるの?』

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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