◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第223回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第223回
第10章──審理 69
二回目の検事調べ──。増山はここで綿貫絵里香殺害を“自供”してしまう。

「漂白」目次


 映像が流される。増山の様子は前回の検事調べのときとは明らかに異なっていた。顔に血の気がなく、肩の筋肉が硬直し、唇がかすかにわなないていた。

『──増山、君は綿貫絵里香さんの死体を遺棄したことをはっきり認めた。そうだな?』初回のときの表面的な甘さを一切かなぐり捨てた口調だ。

 増山は口を開き、一瞬ためらう気配を見せたが、上目遣いに岩切を見て、小さくうなずいた。首の筋が浮かび上がった。

『だが、死体を遺棄する前、彼女を殺害したことは認めていない。そうだな?』

『……はい』消え入るような声だ。

『どうしてだ?』

『……やってない、からです』

 岩切がゆっくりと息を吐く音。『悪人正機(あくにんしょうき)という言葉がある。知っているか?』

『……いえ』増山は困惑し、怯えているように見えた。

『仏教の言葉で、自分を悪人だと自覚した人間こそ阿弥陀仏(あみだぶつ)に救われるという意味だ──』ここから岩切の自己満足いや自己陶酔に溢(あふ)れる説教が滔々(とうとう)と朗々と、萎縮(いしゅく)しきっている増山に浴びせかけられる。『君たち犯罪者に捜査段階から寄り添い、裁判でも罪を問うて、最終的な行政処分まで携わることができるのは、われわれ検察官だけだ。君たちに、自分のした罪を自覚させ、救済する。それこそがこの日本の司法における検察官の唯一無二にして崇高な使命であると私は自負している──』

 岩切の長広舌を増山は魂の抜けたような顔で聞いていたが、岩切が、『中学時代ひどいいじめに遭った君は、中学高校と、一番いい時期に異性と触れ合う経験を持てないまま大人になった。いつまでも中学生の女の子に執着するのはその欠落感からなんだよな』と言ったときには目の焦点が結んだように見えた。岩切は増山を理解し同情しているとアピールしたあと、『君に何か弁解があれば聞こうじゃないか』と促した。

 増山の目に意志が宿った。大きく息を吸った。視線が忙しく上下した。

『俺──』意を決したように口を開いた。『そもそも行ってないんです、まずあの河川敷に。もう何年も』

 岩切が沈黙する。増山がごくりと唾を飲んだ。

『それが君の弁解か?』岩切が言った。

『はい』すがるように岩切を見た。

『そうか──それは残念だ』岩切は、遺体遺棄現場で発見された吸い殻のDNAが増山のものと一致する事実を示し、増山の否認が不合理極まりないもので、裁判官も裁判員も誰一人納得しないだろうと断じた。

 増山が愕然としたような顔になった。

 さらに岩切は、増山が否認を続けることで、世間の矢面に立たされている母・文子がいっそう苦しむことになると諭し、『増山、君はおふくろさんなんかちっとも心配せず、どうにか法律の抜け穴を探して罪を逃れようとしている親不孝の極道息子だ』と非難した。

 増山の顔が間延びしたようになった。白目の部分が大きくなったように見えた。突然、『うああああああああ』という声が喉からほとばしり出て、『おいっ、騒ぐな!』と隣にいた警察官が制止する声が聞こえた。増山は下を向き、口を閉ざしたようだが、声が溢れ出すのを抑えることはできなかった。ガチャガチャガチャ──増山の全身が震えて手錠の鎖が鳴る音が聞こえた。『おいっ!』警察官が怒鳴って増山の体が急に横へ傾(かし)いだ。腰縄が引っ張られたようだ。

『いいんだ!』それまで微動だにしなかった岩切が声をあげ警察官を制した。『苦しいんだよな、増山?』

 増山は歯を食い縛ったままうなずいた。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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