◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第225回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第225回
第10章──審理 71
公判もいよいよ大詰め──。志鶴は被告人質問を前に増山と接見する。

「漂白」目次


 

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 五月三十一日。増山の第七回公判期日。

 今日は増山への被告人質問と、被害者参加制度による被害者の意見陳述が行われる。残りは検察側による論告・求刑と弁護側による最終弁論等を残すのみ。公判もいよいよ大詰めだ。

 被告人質問では、文字どおり被告人に対して弁護側・検察側が、証人尋問と同様に交互に質問を行う。否認事件の被告人質問では被告人が検察官から直接、徹底的な攻撃を受ける。裁判員はその姿を生で目にする。たとえ被告人が本当のことを言っていたとしても、攻撃を受けて動揺したり、あるいはその言動自体に不快感や不信感を持たれてしまうだけで、彼らの心証がマイナスに傾く危険が大きい。

 増山に関して言えば、捜査官による強制的な自白誘導を主張して自白の任意性を争う以上、被告人質問で本人にそう語らせることは大前提となる。これまでの公判期日で、もし自分と田口の弁護が、当初は最悪だったはずの裁判員の心証を少しでもプラスに転じさせることができていたとしても、被告人質問でその努力が一瞬にして水泡に帰すおそれはある。だが、被告人質問が、煮えたぎる溶岩の上に張り渡された細いロープだったとしても、勝つためには渡りきる以外に選択肢はない。

 

「増山さん、いよいよです」今朝、裁判所の接見室で志鶴はアクリル板ごしに言った。田口は伴わず一人での接見だ。「これまでは、『雇われガンマン』の私たちや、専門家証人の先生方が敵を迎え討ってきました。でも今日は、ついに増山さんがご自身で検察官と闘わなければいけません」

 増山はごくりと唾を飲んだ。

「緊張していますか?」

 増山はこくりとうなずいた。

「当然です」志鶴は微笑んだ。「緊張しても問題ありません。私が注意したこと、覚えてますか?」

 増山がうなずく。「……正直に答える」

「そう。増山さんは無実。正直に答えることが最大の防御になる。もう一つ大事なことをくり返します。検察官たちは、裁判員の前で、増山さんがうろたえたり慌てたり、怒ったりするよう仕向けてくるでしょう。増山さんが感情的になって反応すれば、裁判員の心証が悪くなるからです。彼らがおかしな質問をしたら、われわれはすぐ異議を出して増山さんを助けるようにします。それでも能城裁判長が異議を棄却することがあるかもしれません。そんな場合は、深呼吸して落ち着きましょう」

「深呼吸……」増山がくり返す。

「でも、それをやっても、どうしても感情に振り回されてしまうことがあるかもしれません。それでも大丈夫。厳しい話、被告人質問で被告人に対する裁判員の心証がよくなることは期待できない。増山さん、キツいことを言いますね。裁判員たちはあなたのことを、女子中学生に性的に興奮し、ジュニアアイドルのDVDでオナニーをする変態の、キモい中年男だと思っているでしょう。とくに女性は、あなたに嫌悪感を抱いている可能性が高い」

 志鶴はあえて突き放すような言葉を使った。増山は苦痛を我慢するような顔になった。これまでの打合せで話していないことをぶつける。

「この裁判が始まってから、検察官はあなたの性的嗜好を暴き立て、裁判員に最悪のイメージを刷り込んだ。その点で増山さんへの印象がこれ以上悪くなることはない。裁判員が増山さんを、綿貫さんを殺害した犯人だと疑うとすれば、その根底には増山さんの性的嗜好がある。増山さんと綿貫さんの接点として、検察は星栄中でのソフトボールの試合映像を流した。裁判員にはあの映像での増山さんの印象が強烈に残っています──いやらしいことを考えながら女子中学生を眺める変態中年として。あの映像が残っており、検察側が、ジュニアアイドルのDVDや女子中学生がレイプされる漫画を裁判員に見せた以上、そのイメージを覆すのは不可能でしょう。いくら今さらかっこつけて否定しようとしても、信じてくれる人はいないはず。そう思いませんか?」

 増山は不快そうに顔を歪めた。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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