◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第226回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第226回
第10章──審理 72
「増山さん。最初に一番大事なことをうかがいます」志鶴は主質問に立つ。

「煙草を二本喫う間に、ある意味われに返ったということですね。二本の煙草の吸い殻はどうしましたか?」

「その場で捨てました……道路に」

「二本とも?」

「二本ともです」

「そのとき他に気がついたことがあれば教えてください」

「白いバンが停まってました」

「録画映像にあった白いネオエースですね。それから?」

「俺、その車の後ろで原チャリを停めて、原チャリを押し歩いて車を追い越しました。そのとき、窓から車の中の……人が見えました」

「何人見えましたか?」

「一人」

「どんな人だったか覚えていますか。覚えていれば教えてください」

「覚えてます。髪の毛をチョンマゲみたいにして、日焼けサロンに通ってるみたく日焼けした男の人でした」

「なぜ覚えているんですか」

「俺と目が合ったら、『何だコラァ』みたいな感じで口を動かして凄んできたからです。ヤカラっぽくて怖いな、って」

「ヤカラとは何でしょう?」

「不良とか半グレみたいな連中です」

「増山さんに凄む前、その人は何をしていましたか」

「ちょっとそこまでは……試合観ていたと思います。ソフトボールの」

「裁判長、異議があります」世良が立った。「ただ今の被告人の証言は、憶測を語ったものです」

「異議を認める」能城は書記官に志鶴の質問と増山の回答を削除させた。

「その人について他に覚えていることは?」志鶴は質問を再開した。

 増山は首を傾げた。「……とくにないです」

「増山さんが原付バイクに乗って星栄中を離れたとき、白いネオエースはまだ停まっていましたか」

「停まってました」

 第一関門はクリアした。

「では、取調べについてお聞きしていきます。まず、令和×年三月十三日の任意の取調べから。この取調べについて覚えていますか」

「よく覚えてます」

「どうしてですか?」

「ものすごく怖くて辛かったからです」

「その理由について詳しく聞いていきます──」

 誘導にならないよう注意して、増山自身の口から当時の状況をじっくり語らせた。柳井がドアを閉めたこと、恫喝や罵詈雑言(ばりぞうごん)、暴力的行為、でまかせの供述調書、北警部による誤導等々。自分がソフトボールの試合を観ていないと噓をついた理由についても正直に答えた。増山は緊張を忘れてある限りの記憶を呼び覚ました。雄弁ではないが自然で迫真性があった。これまで弁護側が主張したり、反対尋問で志鶴が取調官たちにぶつけた質問の内容とも矛盾しない。

 いくら弁解しても聞き入れてもらえなかったときの心理について「最初は何かのドッキリかと思いました」、「この人たち本気なのかよ? 何で俺が犯人と思ってるんだよってマジで信じられなくて頭がヘンになりそうでした」と訴えた。

 任意の取調べでいつでも帰っていいとは知らなかったので、思わず立ち上がった際、北警部に座れと命じられ従った。心身共に疲れ果て、取調室を出て家に帰るためなら何でもするという気分になった。北警部に、無実なら裁判で裁判官にそう訴えればいいと言われ、その気になった。二度目に作成された死体遺棄の供述調書に署名すれば帰れると思い込んだ──以上を語った。そうしたことでまさか逮捕されるとは夢にも思わなかったとも。

(つづく)
連載第227回

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

◎編集者コラム◎ 『都立水商3年A組 卒業』室積 光
黒田小暑『ぼくはなにいろ』