◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第229回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第229回
第10章──審理 75
「これじゃ取調べと一緒じゃん」反対質問に増山は感情を抑えられない。

「漂白」目次


「その日の夕方、足立南署に当番弁護士が接見に来た。そうですね?」

「──はい」

「川村弁護士はあなたから話を聞き、取調べに対してどう臨むべきか助言した。違いませんか?」

「……そうです」

「川村弁護士はあなたに、たとえ一度本当のことを自白してしまったとしても大丈夫、何とか切り抜ける方法がある、と入れ知恵をした。取調べでの自白を、あとから、あれは、取調官に無理に言わされた虚偽自白だった、とひっくり返せばいい──そう助言したんじゃないですか?」増山に迫る青葉の目がぎらぎらと光った。

「違います。先生はそんなこと言ってません」

「虚偽自白という言葉は使わなかったかもしれない。でも、裁判になったら自白は本心ではなかった、と否定すればいいと助言したんですよね?」

 増山は考えた。「……いや。そんなことは言わなかった」

「あとで、自白は噓だったと主張しましょうという言い方だった?」

 田口が重複質問で異議を発したが、能城が棄却し、増山に答えを促した。

「川村先生は俺に、そんな入れ知恵はまったくしていませんでした」

「じゃあ何て助言したんです?」青葉が言った。

「黙秘しろ──川村先生は俺に、頑張って黙秘するように、って助言してくれました。警察は、俺のことを犯人と決めつけているから、俺がどんなに弁解しても聞く耳を持たない、何を言っても俺の不利になるだけだから、黙秘しろ──そういう意味のことを言っていました」

「でもあなたはすぐには黙秘しなかった。良心の呵責があったから、一度認めてしまった罪を否定することができなかった。違いますか?」

「違います。黙秘できなかったのは、刑事さんたちが怖かったからです──さっきも言ったように、毎朝無理やり握手されたり、合掌させられたり……」悔しそうに顔を歪めた。

 青葉は空気を変えようとするかのように大きく息を吸った。「あなたのその主張は北警部と灰原巡査長の二人の証人の口からこの法廷できっぱり否定されています。川村弁護士がそう主張するよう助言したんじゃないですか?」

「違います──!」増山が青葉をにらんだ。「何で信じてくれないんですか? 俺がキモいおっさんだから? これじゃ取調べと一緒じゃん」

 青葉は増山の視線を受け止め、微笑んだ。「あなたには自分が『キモいおっさん』であるという自覚があり、開き直っている。社会に対して強い被害者意識から来る恨みと、それに根差した復讐(ふくしゅう)心があった。性犯罪の根底にあるのは性欲だけでなく支配欲。あなたはその恨みと復讐心を社会の弱い部分である、罪のないいたいけな女子中学生にぶつけた。あなたが浅見さんと綿貫さんをレイプして殺害した動機は、復讐心に由来する支配欲だった。そういうことですね?」

「違う──!」増山が叫んだ。

 田口が誤導質問で異議を発したが、能城に棄却された。

「被告人」能城だ。「マイクがあるので、必要以上に大きな声を出さないように」

 増山が肩を上下させている。興奮が収まらない。志鶴を見た。志鶴は胸を手で押さえて呼吸するゼスチャーをした。増山が呼吸を整えようとした。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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◎編集者コラム◎ 『口福のレシピ』原田ひ香