◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第232回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第232回
第10章──審理 78
検察官は増山の極刑を求刑した。つづいて被害者参加人の意見陳述が……。

「漂白」目次


 傍聴席がどよめき、記者たちが何人も法廷を飛び出していった。増山が呆然と目と口を開いた。信じられないという顔をこちらに向けた。傍聴席で文子が手で口を押さえようとした。顔が蒼白(そうはく)になっている。志鶴は唇を引き結んだ。都築とも相談し、覚悟していたつもりだったが、膝が小刻みに震えるのを抑えることができなかった。弁護士の間でも意見は分かれるが、志鶴は死刑制度に反対の立場だった。何よりの理由はまさに今増山がそうなっているように、無実の人の命を奪うおそれがあるからだ。

 世良が増山に向き直った。

「求刑──諸事情を考慮し、相当法条適用の上、被告人を死刑に処するのが相当である──!」

 傍聴席がまたざわめいた。戸惑ったような裁判員がいた。腕組みをして考え込む裁判員がいた。目を閉じる裁判員がいた。大きく息を吐く裁判員がいた。

 まったく迷いのない、大向こうを唸(うな)らせる堂々たる論告・求刑だった。世良の内心まではわからない。論告の内容にはいくらでも異論がある。が、この法廷で「正義」を担う検察官として、「犯罪者」である増山に対して完璧な糾弾のパフォーマンスを行ったという評価はせざるを得なかった。内容以前にそのパフォーマンス自体に説得性を感じる裁判員がいたとしても不思議ではない。

 世良が言ったように、とかく移ろいやすい世間でもこの裁判に対する関心はまだ熱を失っていない。マスメディアは連日裁判の進捗を報道し、SNSでも「女性へのヘイト判決を許さない」というハッシュタグは盛り上がっており、増山に極刑を求める声も多い。増山はほぼ孤立無援の状態で法廷の中でも外でも理不尽な攻撃に晒され続けている。

 呆然としている増山とは異なり、志鶴はまったく打ちのめされてはいなかった。むしろ体の内部にどんどんエネルギーが湧いてくるのを感じた。自分はこのためにこそ弁護士になり、このためにこそここにいるのだ。絶対にぶちのめす──混じりっけのない闘志が清らかに冴(さ)え渡った。

 世良が席へ戻った。

「被害者参加人による意見陳述を行う」能城が言った。

 浅見奈那が立ち上がった。すでに泣き腫らしたように目が赤い。少しふらついていた。

「頑張れ、奈那さん!」永江が自席から声をかけた。

 浅見は証言席に座った。

「わ、私は、十五歳のとき萌愛を生みました」昨日の被告人質問のときのように取り乱してはいなかった。考えながらゆっくり言葉をつむいでいる。「高校を中退したので学歴は中卒です。萌愛の父親とは萌愛が小学四年生の頃、離婚しました。それから私はシングルマザーとして萌愛を育ててきました。私は学歴も低く、頭もよくないし、体も弱いのでお給料のいい仕事に就くことはできません。時給千八十円でスーパーのパートをしています。生活は楽ではありません。萌愛にも苦労をかけたと思います……」くすんと鼻を鳴らした。「萌愛には、他の友達が持っているようなおもちゃやゲーム、洋服なんかも十分に買ってあげることはできませんでした。けど、あの子は私にせがんだり、文句を言ったりすることはなかったです──」

 裁判員たちはみな真剣な顔で耳を傾けている。

「萌愛は、私に似て勉強は苦手だったけど、とても優しい子でした。いつも私の体のことを気遣ってくれました。洗濯とか掃除とか、家事もよく手伝ってくれました。私は自分の親とはほとんど縁を切っています。萌愛だけが家族でした……あの子がいたから頑張れた」うっ、と言葉を詰まらせた。目に涙が浮かんでいる。「私には、宝物みたいな子だったんです……。中学生になると、中学を出たら自分が働いてお母さんを楽にさせてあげるからって──」涙がぽろぽろこぼれ落ちた。「夏休み──中学二年生の夏休みのとき、せっかく時間あるのに、何で中学生でもできるバイトがないんだろ、って文句を言ってました。中学生でもできるバイトがあれば、お母さんを助けてあげられるのになあ、って──」

 裁判員の中に涙ぐむ女性がいた。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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