◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第234回

検察官は増山の犯行を立証できたのか──志鶴は問題点を検証していく。
綿貫絵里香さんの事件で検察官が示した証拠
①増山さんの自白及び供述調書
②17年前の増山さんの逮捕記録
③現場に落ちていた煙草の吸い殻のDNA型
「まず②。十七年前の増山さんの逮捕記録が何の証拠にもならないことは、先ほど証明しました。残りの二点を考えてみましょう。冒頭陳述で私は、われわれには解決しなければならない問題が二つある、と申し上げました。もう一度くり返します」
問題 1
増山さんの「自白」は、自分の意思で自由に語ったものか
警察官/検察官に「強要」「誘導」されたものか(虚偽自白)
疑問が残れば無罪
「一つ目は、増山さんの『自白』とされるものが、自分の意思で自由に語ったものなのか、それとも警察官や検察官に強要・誘導されたものなのか、という問題です」
問題 2
綿貫絵里香さんの体内から検出された男性のDNAは、増山さんのものか
増山さんではない第三者(真犯人X)のものか
疑問が残れば無罪
「二つ目は、綿貫さんの体内から検出された男性のDNAが増山さんのものであるかどうか、という問題です。まず一つ目を検証してみましょう」スライドを「問題 1」に戻す。
「日本の刑事司法には『人質司法』という問題があると言われています。被疑者や被告人に、民主主義国家の中では異例なまでに厳重な身体拘束が課されるという問題です。民主主義世界では人権侵害とみなされるような人質司法が、なぜ日本ではいまだにまかり通っているのでしょう? その答えは、日本の捜査機関が自白を『証拠の王』と考える自白偏重の立場にあるからです。怪しいと目星をつけた人は逮捕して身柄を自分たちの管理下に置き、何が何でも自白を取る──これが日本の捜査機関の典型的なやり方です。自白という強力な証拠さえ得てしまえば、裁判になっても被告人を有罪にできる確率がぐんと上がる。彼らがその目的のために被疑者被告人の身柄を拘束する許可を求めると、ほとんどの場合裁判官はそれを認める勾留状という令状を発行します。被告人が犯行を認めて自白がある事件では裁判の手続も迅速に進む。被告人が犯行を否認している事件と比べて大幅に手間が省けるので裁判官にとっても都合がいいんですね。こうして警察・検察・裁判所によって温存されてきたこの人質司法こそ、冤罪の原因となる虚偽自白を生み出す最大の温床です」
検察側に目をやる裁判員がいた。
「取調官に対する私の反対尋問を思い出してください。灰原巡査長は、任意性の確保について規定されている犯罪捜査規範の第168条を知りませんでした。誤導や利益供与を禁ずる第168条2項についても知りませんでした。録画映像のない三月十三日の任意の取調べで取調室のドアを閉めたのはあなたかと訊ねると、『私ではありません』と答え、慌てて『あっ』と叫んで絶句しました。ドアが閉められていたことを事実上認めてしまっています。
最近では、取調べをしている間、取調室のドアは開けておく決まりになっています。ドアが閉まっていたという一点だけでも、密室で取調官による威圧的な取調べが行われたことが推定できます。増山さんが殺人を認める内容の供述調書を作ったか訊いた流れで、死体遺棄を認める供述調書を作成したか訊いたところ、つい『いえ』と答えてしまった。殺人を認める供述調書を作成したことを否定する噓をつくことに必死だったからです。朝、北警部と共に留置場へ増山さんを迎えに行った際、綿貫絵里香さんの遺影を持っていたか訊ねたとき、否定をしましたが、私が増山さんの目を見て答えられるか訊いたにもかかわらず、増山さんを見ることはできませんでした」