◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第29回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第29回
第二章──窒息 05
自分が置かれている状況を理解していない増山。彼と信頼関係を築くのだ!


 最大の問題は、増山が自分の置かれている状況を理解していない、あるいは受け入れるのを拒んでいることだ。いくらこちらが法的助言を投げかけても、このままでは右から左へ素通りしてしまう。

 刑事弁護の世界では知らない人がいないベテラン弁護士が、弁護人がただ座っているのが理想の接見の在り方だと語ったことがあるそうだ。弁護士が質問を重ねて聞き出すのではなく、依頼人に自発的に語ってもらうのが一番よいという意味だろう。自由報告。接見ではこれを中核とすべし、というのは実際、刑事弁護のセオリーとなっている。

 だが、それだけを守っていてもこの局面は打開できない。何よりまず、彼自身に認識を一新してもらうことが必要だ。

 思い切った手を打つべきかもしれない。逡巡(しゅんじゅん)する。劇薬に副作用はつきものだ。悪い方の目が出れば、増山の信頼を失いかねない。

 息を吸って、吐いた。

「──警察は、勘違いなんて思ってませんよ、増山さん」

 突き放すように告げた。増山が口を開く。志鶴は続ける。

「それに、もしそれに気づいたとしても、絶対に認めようとしないでしょうね」

「え、じゃあ……」

「増山さんは、綿貫絵里香さんの死体を捨てたという容疑で逮捕された。そのことはわかりますよね?」

 増山がうなずいた。

「その瞬間から、増山さんは目的地へ向かって走る列車に乗せられたんです」

「れ、列車……?」

「そうです。想像してみてください。増山さんは、逮捕された瞬間から、警察官たちの手で、自分の意思に反して強引に列車に乗せられ、ドアを閉められた。同時に、増山さんだけを乗せた列車は、ものすごいスピードで走り出す。降りたくても、ドアには鍵がかかっていて、降りられない。いくら出してくれと叫んでも、ドアを叩いても、無駄。列車を止めたくても、増山さんの力では不可能です。このままだと、列車は、終点に向かってまっしぐらに走り続けるでしょう。その終点がどこか、わかりますか?」

 アクリル板のどちら側にも窓のない空間で、増山が首を横に振る。

「目的地に到着した列車が止まると、ドアが開けられ、増山さんはまた警察官たちの手で列車から下ろされます。終点に着いたにもかかわらず、増山さんの身が自由になることはありません。なぜなら──その終点は、刑務所だからです」

 現実には、極刑の判決が下されれば拘置所という可能性もあるが。

(つづく)

連載第30回


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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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