◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第30回

「私は、増山さんの味方です」弁護士として志鶴は、彼とある約束をかわす。
増山は動揺している。つまり、志鶴の話を理解しているということだ。
自分は今、依頼人を脅かしている。良心の呵責(かしゃく)が胸を刺す。弁護人の誠実義務について田口に大上段から論ずる資格があるだろうか。
「冤罪、って言葉、知ってますよね?」志鶴は続けた。「犯罪を犯していなくても、逮捕され、裁判で有罪になって、犯罪者にされてしまうことです。どうして冤罪が起こるかわかります?」
増山がまた首を横に振った。
「真犯人を見つけ出し、逮捕して有罪にする。それが警察の仕事のはず。ところが、警察は、疑わしい人を逮捕した時点で、逮捕したその人を有罪にすることに全力になる──鳥の雛(ひな)が、初めて見た動くものを母親と思い込むように、警察にとって、逮捕した人こそ真犯人になってしまうんです。検察官も同じ。増山さんの身柄を拘束し、自由を奪って取調べをする人たちは一人残らず、増山さんを有罪にして刑務所に叩き込むことに全身全霊を捧(ささ)げている。彼ら以外にも大勢の警察官が、増山さんを有罪にするための証拠を、この瞬間も血眼になって探し集めています。──わかりましたか? それが今、増山さんが置かれている状況なんですよ」
増山の顔から血の気が引いてゆくのが見えた。
「わかりましたか?」志鶴はくり返した。
増山が、こくん、とうなずいた。
今度こそ理解してもらえたのではないか。そう感じた。
「増山さんはさっき、私に、何しに来たのか、と訊(たず)ねました。改めて自己紹介をさせてください」
表面を向こうに向け、アクリル板に立てかけていた名刺を、増山の目の高さに持ち上げた。増山の目が追った。
「川村です。川村志鶴。よろしくお願いします」
名刺を元に戻して頭を下げた。
「私は弁護士です。このバッジがその証拠です」
スーツの襟元に安全ピンで留めた──ねじ止め式の男性用とはアタッチメントが異なる──弁護士記章を見せた。
「弁護士は、増山さんを有罪にしようとする警察官でも検察官でもありません。裁判になったら増山さんに有罪判決を下すかもしれない裁判官でもありません。弁護士は、増山さんのように逮捕されてしまった人の味方です。私は、増山さんの味方です」
手で自分の胸を叩く。
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