◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第37回

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第二章──窒息 13
「増山さんも、マスコミ報道の犠牲者です」志鶴の発言が思わぬ波紋を呼ぶ。

 

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「川村先生」女性が言った。

「竹中(たけなか)さん」志鶴は足を止めた。

 竹中登美加(とみか)は、関西に拠点を持つ中央放送というテレビ局の報道局ディレクターだ。星野沙羅の公判で弁論を傍聴し、閉廷後、志鶴に「先生の弁護、感動しました」と声をかけてきた。名刺交換をしての去り際、「いつか取材させていただこうと思います」と語った。

 昨日は見えなかったし、家に入るときは気づかなかった。

「増山淳彦の弁護を受任されたんですね」

 傍らには、カメラをかついだカメラマンがいたが、彼女は手にしていたマイクを志鶴に向けず、下げたままだった。

「はい」

 立ち止まって応答する志鶴の周囲に取材陣が集まってくる。フラッシュがまぶしい。

「残念です」竹中の言葉は志鶴には思いがけないものだった。「川村先生は、弱者の味方だと思っていました」

「刑事事件の被疑者はみな弱者です」

 竹中が顔をゆがめた。

「少女を蹂躙(じゅうりん)して手にかける、けだもののような男でもですか? 増山淳彦のような男の弁護をすれば、この国のすべての女性を敵に回すことになりますよ。売名のためですか? 星野沙羅さんの弁護では先生を尊敬しましたが、失望しました」

「取材に来たんじゃないんですか?」皮肉を隠す気にもなれなかった。

「申し訳ありませんが、この事件では、川村先生のことも批判的に報じることになると思います。弱者の立場に立つのがわれわれマスコミの使命と信じていますので。そのことをお伝えしたくて」

 いくつものレンズとマイクがこちらに向いている。刑事弁護において、マスコミ対応の原則は基本無視。志鶴もそのセオリーに従ってきた。このまま黙って立ち去ることもできる。志鶴は竹中を見据えた。失望したのはこちらの方だ。

「被害者の方はもちろんお気の毒です。が、増山さんも、マスコミ報道の犠牲者です。依頼人のためなら、世界のすべてを敵に回しても闘うのが弁護人の務めです。これ以上、私の依頼人への犯人視報道はやめてください」

 竹中に背を向け、歩き出した。

 賢明な対応ではなかったかもしれないが、自分が後悔しないだろうということはわかっていた。

 

 秋葉原の事務所にはもう誰も残っていなかった。森元逸美が録画してくれたテレビの報道をチェックしてから、増山文子からのヒアリングを元に供述調書を作成した。さらに勾留請求に対する意見書を作る。

 作り終えたときには終電がなくなっていた。どのみち今日はこのまま帰らず作業するつもりで、母親にもそう連絡してあった。増山以外の案件でもやるべき仕事はたくさんある。ブラック企業の労働問題も手がける立場としては問題かもしれないが、電話などで中断されることのない深夜は一番集中できる時間帯だった。

 明け方近くに切り上げ、応接セットのソファで仮眠した。目覚ましで起きるといったん事務所を出て近くのネットカフェでシャワーを浴び、二十四時間営業のチェーン店で牛丼を食べ、事務所へ戻った。

 会議室でコーヒーを飲みながら、配達された新聞数紙とテレビの報道をチェックする。日々刻々めざましい速度で消費されてゆくニュースのなかで、増山の逮捕はまだ鮮度を失っていないらしかった。それでも、予想を超える内容はないようだと判断したところで、チャンネルを合わせた情報番組に不意打ちされた。

 映っていたのは自分だった。

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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