◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第38回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第38回
第二章──窒息 14
東京地検の執務室。担当検事の放つ威圧感を志鶴は一身にあびることに。

「使い走りって……増山淳彦さんに選任された弁護人は、私です」

「自分の手は汚さない主義ってわけか」何が面白いのか表情を緩めた。圧力は減らなかった。

「──本件は、勾留要件を満たしていません」

 反応はなかった。

「増山さんには、逃亡すると疑うに足りる相当な理由も、罪証隠滅すると疑うに足りる正当な理由もありません。同居しているお母様が身元引受人です。増山さんは、近所の新聞販売店にもう七年も真面目に勤続しています。そもそも犯罪の嫌疑をかけられている本件には一切関わっていないので、罪証隠滅をする必要も──」

 岩切が、待て、というように右手を挙げた。

「何をしている?」

「増山さんを解放するべき理由を説明しています」

 岩切は間を取るように目を伏せた。

「お嬢ちゃん、ロースクールを出たんだよな?」

「川村です」

「何でもいい。ロースクール、出たのか出ないのか?」声の圧が高まった。

「……出ました」

「司法制度改革とやらの賜物(たまもの)だ。俺たちの時代にはそんなものなかった」

 上目遣いにこちらを見る岩切の目に、見下すような色が浮かんでいた。

「俺は現場で泥にまみれてる人間だ。お偉い連中の考えはわからんが、臭うんだよなロースクール出は──お勉強の延長で法曹やってる素人臭が。お嬢ちゃん、殺人ってのは、学生気分で触っていい事件じゃないんだよ。仕事の邪魔は困る。わかったら出てってくれ」

 岩切はテーブルを両手で押すようにして立ち上がった。

 

 不俱戴天(ふぐたいてん)の敵。弁護人にとっては検察官がそれだ。

 日本の刑事訴訟は当事者主義を採る。訴訟において主導権を持つのは当事者である被告人や検察官、弁護士であるとする方針だ。法廷で、弁護人は被告人と共に当事者として──千戦のうち九百九十九は負け戦となるが──検察官と闘う。

 裁判のはるか前から闘いは始まっている。

 国家が振るう権力のなかで最も暴力的なものは、犯罪者を処罰する刑罰権だろう。検察官は、捜査の過程でこれを行使すべきかどうかの判断を委ねられる。日本では私人が刑事事件を起訴することは法律で許されていない。国家訴追主義──公による訴追(公訴)を提起するかどうかを決定する権限は検察官だけに付与されている。

 司法修習生は司法研修所で検察教官の講義を受ける。そこで使う参考書は検察官が作ったものだ。そこにこんな文章があった──「国家刑罰権の実現の主導権は検察官が掌握している」。

 当事者主義は当事者対等主義と理解されることもあり、「武器対等の原則」が前提とされている。だが実際には、弁護人にとって検察官は、対敵というよりは眼前に立ちはだかる権力の壁そのものだ。

「──待ってください」声を出した。

 立ち上がった岩切がこちらを見下ろす。

「仕事、って何ですか?」

 岩切が眉を上げた。

「今、おっしゃいましたよね。『仕事の邪魔は困る』って。教えてください、検事の仕事って、何ですか」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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