◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第40回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第40回
第二章──窒息 16
「楽な商売だな人権派のセンセイも」捜査検事の挑発に志鶴は──?


 弁護士にとって冤罪の温床と思える九九・九パーセントの有罪率は、検察官にとっては自らの判断の正しさを証明する勲章なのだ。実際、日本と比べ有罪率の低いアメリカ合衆国で、公訴提起に求められる確信の程度は「罪を犯したと疑うに足りる相当な嫌疑」が存在するという水準であり、有罪を決する段階で求められる「合理的な疑いを超えて立証されること」より低い。日本の組織自体に高い無罪率を忌避する強迫観念が刻み込まれているようにも思えるが、有罪率が高いのは起訴するためのハードルが高いからであるというのが日本の検察の立場だ。司法修習生時代、検察教官の一人は、「世間では有罪率九九・九パーセントを高い高いと言っているが、われわれ検察官はむしろ百パーセントでないとおかしいと考えている。これだけしっかり捜査したうえで起訴しているのだから」とまで言い切っていた。

「何か見つかったんですか?」

 岩切の目に満足げな光。翻弄しているのだ。もう挑発にも乗ってこないだろう。

「──増山さんは、取調べの録音録画を希望のうえ、黙秘します。私がそのように助言しています。自白の強要はくれぐれもお控えください」

 話を終えるつもりで言った。

「おいおい、被疑者には黙秘させるが不起訴にしろってか。ずいぶん虫のいい話だな」

「正当な権利です」

「勘違いしているかもしれないが、俺たちも何が何でも被疑者を起訴しようとしてるわけじゃない。真実を明らかにして適正に被疑者を処分するのが第一義だ。起訴さえできれば真相はどうでもいいとはならねえんだよ。黙秘されちゃ、それもかなわん。弁護士にだって真実義務はあるはずだ」

「いえ。弁護士には独立した司法機関の一員としての地位はありません。刑事司法の適正手続に協力する任務はありますが、被疑者に対する誠実義務こそが弁護人の義務であり、裁判所や検察官の真実発見に協力する義務はない。増山さんに黙秘権の行使を助言することこそ、弁護人としての私の義務です」

 岩切が言ったように、弁護士にも司法機関として「実体的真実」の発見に協力すべき義務があると考えられた時代もあったらしい。そうではないとする見解が出てきたのは一九九〇年代以降だと言われている。志鶴には無縁の話だ。

 岩切が目をすがめた。

「それは、本当に増山のためになるのか。本当にやつのことを考えた行動なのか」

「依頼人に最善の防御を実現させるのが刑事弁護の目的。文句なしのイエスが答えです」

「いいや、そうじゃないね」岩切が首を振る。「あんたが考えてるのは、自分──『かっこいい刑事弁護士のアタシ』のことだけだ。刑事手続のあとも増山の人生は続く。犯罪者の矯正や保護の現場じゃ、自白をしていない人間は自白して刑に服した人間と比べて社会復帰が難しいってのは常識だ。自白こそ被疑者の更生の第一歩なんだよ。あんたは目先のこと、自分のことだけを考えて、やつの今後の人生を台無しにしようとしてるんだ」

「──増山さんは、無実です」

 岩切が志鶴をにらんだ。志鶴も目をそらさなかった。

「他に言いたいことは?」岩切が沈黙を破った。

「今日のところは、以上です」

 志鶴は答え、席を立った。

(つづく)

連載第41回

里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

横山秀夫さん『ノースライト』
朝井リョウさん『死にがいを求めて生きているの』