◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第42回

検事調べのようすを嬉々として語る増山。志鶴の目の前は一気に暗くなる。
増山は自宅から勤務先の新聞販売店まで、自分のスクーターで通っている。新聞もそのスクーターで配達している。増山の母親から聞いていた。
「スクーターは、河川敷には入れないんですか?」
「入口の柵に鍵かかってて、車も進入禁止になってる」
「なるほど」メモを取った。「それから、どんな話を?」
「でも、仕事場への行き帰りでは、荒川を通ってるよね、って言われた。そのとおりだから、はい、って。今度は、俺の家から販売店まで、俺が通ってるルートを地図に書けってペンを渡されたから、書いた」
志鶴はスマホを取り出して地図アプリを起(た)ち上げ、増山の家の周辺を表示させた。画面を増山に向け、細かく操作して、綾瀬にある家から千住にある新聞販売店までの増山の通勤ルートを確認し、記録する。
同じ足立区内でも、家と職場の間は荒川で隔てられている。細かな道は気分しだいで変えることもあるが、川を渡るのに千住新橋という橋を通ることは決めているという。
「そのあと、検事さんに、いつも仕事場への行き帰りに渡ってる橋と死体遺棄現場は近いね、って言われた。橋の上から見える場所だよね、って」
地図アプリで確かめると、千住新橋から増山の言うグラウンドまでの距離は、四、五百メートルくらいに見える。
「俺は、そうですね、って答えた。そしたら、本当に最近、グラウンドの方まで行ってないの、って訊かれた。スクーターを降りたら、すぐ入れるでしょう、って。そうですけど、めんどくさいし、降りる理由もないので行ってません、って答えた。じゃあ、グラウンドの近くじゃなくてもいいから、河川敷に出たことは? って訊かれて、それもありません、て答えたら、本当だね、って念を押された。えーと……あとは、ソフトボールの試合を観て、また、十六年前と同じように──ムラムラ? したりしなかったの、って」
増山の顔に不自然な笑みが浮かんだ。
「さっきも言ったけど、それは男として健康な証拠だから、恥ずかしがらなくていいんだよ、俺には正直に話してよ、って。だから……ちょっとそうなったかもしれないです、って答えた」
増山がまばたきした。
「まあ、そんな感じになったからって、十六年前とは違って、学校に入ったりしようとか、何かしようとは思いませんでした、ってすぐフォローしたけどさ。実際、すぐ家に帰ったし、検事さんにもそう言った。そしたら、その日はすぐ帰った、でも、他の日に、星栄中の近くで、ソフトボール部の部員が出てくるのを待っていなかったか、って訊かれた。そんなことしてないから、してません、って答えた──」
増山の背後で鉄扉が開いて、制服警官が現れた。
「足立南37号。時間だ」
増山は振り返り、「はい」と答えながら立ち上がった。
「ちょっと待ってください」あわてて声をあげる。「話はまだ──増山さん!」
増山がこちらに顔を向ける。
「明日は裁判所で裁判官から話を聞かれることになると思います。忘れないでください、基本は黙秘です。それと──検察官は味方じゃない、敵です!」
増山が顔をゆがめ、そむけた。そのまま警察官が待つドアへと向かうと、鉄扉のなかに吸い込まれた。