◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第44回

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第二章──窒息 20
東京地裁刑事部を朝一番に訪れた志鶴。増山の担当判事と面接するが……。

 

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 法衣を着ていない、スーツ姿の裁判官のほとんどは、検察官よりもはるかに役人らしく見える。志鶴の目の前に座る男性判事もその一人だった。

「こちらが陳述書ですね──」

 志鶴が差し出した書面に、判事は黙って目を通しはじめた。

 東京地裁刑事部。志鶴は、起訴前の被疑者に関する手続等を専門に担当する令状部と呼ばれる部署にいた。刑訴法上、第一回公判が始まるまでは、公判を担当する裁判所は被疑者の身柄を扱えない。被疑者の勾留に関する手続はこの令状部で、公判を担当しない裁判官によって行われる。

 岩切は増山の勾留を請求していた。今日、増山は留置場からこの東京地裁へ順送され、勾留を担当する裁判官から質問を受ける。裁判官が弁護人との面接に応じるのはその前まで。志鶴にとっては朝一番の仕事となる。

 本当は増山の母親にも同行してもらい、直接訴えを聞いてもらいたいところだったが、増山の勾留担当裁判官は、弁護人以外の面接を受け付けない方針ということだった。

「──で、こちらが、被疑者の母親の供述調書と、身元引受書、と」

 増山の担当判事は、指で示しながらそれらの書類も確認した。

「はい、たしかに受領しました」

「納得いただけましたか?」志鶴は訊ねた。

「書式については問題ないかと」

「内容については?」

「ご主張については理解できたかと思います」

「では、勾留請求を却下していただけますね」

 判事がまばたきする。「同意したという意味では……」

「なぜ同意できないのか説明してもらえますか。私は書面のなかで、増山さんが住居不定でないこと、逃亡すると疑うに足りる相当な理由も、罪証隠滅すると疑うに足りる正当な理由もない、つまり、刑訴法60条1項に定められた勾留要件を満たさないことを示しています。反論がなければ勾留請求を却下すべきです」

 それまでちゃんと目を合わせなかった判事が志鶴を見た。無表情で光のない目だ。物として見られているように感じた。

「被疑者に質問をしてから判断するつもりです」

「増山さんには私から完全黙秘を勧めています。増山さんのお母様の同席を許可していただけなかったのですから、その書面で判断してください」

「追って通知いたします」

 典型的なお役所言葉だ。下手に出てみることにする。

「今後の弁護方針にも関わることですので、せめて見通しだけでもご教示いただけませんか」

 検察官の執務室とは異なり、この部屋には他にも裁判官がいた。判事は、最小限の動きで同僚や書記官たちを気にするようなそぶりをしてから、自分と志鶴の間にある虚空を見た。

「見通し、といったものをここで申し上げるつもりはありません。ですが、異なる解釈も存在しうるという可能性を提示することならできるでしょう」

「異なる解釈というのは、何についてですか」

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

江國香織さん 『彼女たちの場合は』
降田 天さん 『偽りの春 神倉駅前交番 狩野雷太の推理』