◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第44回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第44回
第二章──窒息 20
東京地裁刑事部を朝一番に訪れた志鶴。増山の担当判事と面接するが……。

「勾留要件を規定する刑訴法60条1項のどこにも、取調べ目的で被疑者の身体拘束をしていいなんて書いてない。にもかかわらず、日本の警察も検察も、当然のようにその目的で被疑者の身体を拘束している。なぜか? この国ではずっと、被疑者の供述を取ることが捜査の柱だったからです。被疑事実を認めるまで、被疑者の身体を拘束し、執拗に取り調べる。被疑者の『自白』さえ取れれば事件は一件落着、めでたしめでたし──昔の刑事ドラマなんかでも、クライマックスが取調べで被疑者の口を割る場面っていうパターン、結構多かったみたいですよね。ドラマだけじゃない、こんな運用が現実でもまかり通っていた──いや、今でもまかり通っている。被疑者自身の身柄を『人質』に取って自供を強引に引き出そうとするのはもちろん、取調べを行う警察官あるいは検察官です。しかし、日本の数多くの冤罪の温床となったこの『人質司法』の真の黒幕は、彼らじゃない──あなたたち令状部の裁判官です!」

 担当判事が目をしばたたく。他の裁判官や書記官が、何事かとこちらに目を向けている。志鶴は彼らを逆ににらみ返してやると、声のボリュームを上げた。

「われわれ弁護士の間で、あなた方令状部裁判官がどう呼ばれてるか知ってます? 『令状の自動発券機』です。何でかわかりますよね。検察官がボタンを押せば、自動的に令状を出すっていう意味です──」

 彼らの顔に動揺が浮かぶのを、志鶴は見逃さなかった。怒りのままに立ち上がる。

「根拠となるデータを挙げましょうか? 二〇一七年、逮捕後の被疑者約十一万人について検察官が裁判所に勾留請求を行い、却下された割合は? わずか約三・八五パーセント! 勾留請求された百件のうちおよそ九十六件に勾留が許可されている計算です。自動令状発付マシーン呼ばわりされても仕方ない、そう思いませんか? 私が知る限り、刑事弁護士の誰一人として、刑訴法60条1項の勾留要件について、あなた方がちゃんと検討していると思っていません。とくに2号"被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき"──私よりはるかに刑事弁護の経験豊富な先輩が『罪証隠滅のおそれがない』と言った裁判官なんて見たことがないと語っていましたが、まったく同感です。なぜか。日本の裁判官が、『相当な理由』について、いくらでも自由に拡大して解釈しているからです。こんな緩い運用では、『罪証隠滅のおそれがない』ことを示すために、被疑者被告人は罪を認めて自白するしかないのが現実です。被疑者が黙秘か否認をしていた場合、あなた方は、この該当性について具体的、実質的な判断をすることなく、馬鹿の一つ覚えのように『罪証隠滅のおそれがある』として、検察官に求められるまま機械的に勾留状を発付する。これこそ、この国の非人道的な刑事司法の象徴である人質司法を生み出すメカニズム──あなた方裁判官が、この、世上まれに見る重大凶悪な人権侵害の主犯です!」

(つづく)
 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

江國香織さん 『彼女たちの場合は』
降田 天さん 『偽りの春 神倉駅前交番 狩野雷太の推理』