◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第47回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第47回
第三章──物証 02
「意外と簡単じゃん、黙秘」増山の言葉に、志鶴はかえって不安を覚える。

「うん。あきらめたんじゃねえの、刑事たちも」

 願望を込めてそう語っているのかもしれないが、志鶴は増山のようには楽観できなかった。それでも立派な戦果であるのは間違いない。

「増山さん、頑張りましたね。今後もその調子で黙秘を続けてください」

 すると増山が志鶴を見た。

「冗談じゃねえよ。こんなとこ、もううんざりだよ。さっさと出してくれよ。同房のやつらも俺のことからかってきたりするし、うんこもおちおちしてらんねえし。なあ、おたくが態度改めて岩切検事に謝ったら不起訴にしてもらえるんじゃないの?」

「──落ち着いてください、増山さん。辛(つら)いのはわかります。が、今後の見通しについては、これまでお話ししたとおり。裁判で無罪を勝ち取ることに焦点を定め、じっくり腰を据えて闘っていくしかありません」

「母ちゃんは何て言ってるんだよ?」

「お母様も同意してくださっています」

「本人の口から聞かなきゃわかんねえし」

「わかりました。手紙を書いていただきます」

「じゃなくて。会わせてくれっつってんの」

「……裁判所から来てませんか、通知?」

「通知……? あ、届いたかも」

「接見等禁止決定の謄本、ですよね?」

「たしかそんなだった」

 ちょうどいいタイミングだ。留置官に頼んで見せてもらう。半ば予期していたとおり弁護士以外との接見はすべて禁止という内容だった。

「なんで会えないんだよ」

「私も理不尽だと思います。増山さんとお母様が会えるよう抗議します。ですが、この命令が一部でも解除されない限り、お母様が増山さんに接見することは許されません」

 増山がため息をついてうなだれた。

「勾留そのものへの抗議も引き続きします。増山さん、黙秘できたのは大きな一歩です。自信を持ってください。この調子で粘り強く闘っていきましょう」

 増山は喉から唸(うな)り声を発すると、顔をしかめて片手で頭皮をかきむしった。

「もう……何の役に立ってんだよ、弁護士」

 志鶴はペンを持っていない左手の拳を握り締める。

「──まったく。ふざけんな、って話ですよね」

 増山が、けげんそうな目をこちらに向けた。

「接見禁止って本来は、共犯者に証拠を隠させないとか犯罪組織の人間が仲間に被害者を脅迫させないようにするとかっていう目的のためにあるはずなんです。増山さん、自宅へ帰っても逃げる気なんてありませんよね?」

 増山が当惑げにうなずいた。

「お母様に証拠を隠すよう頼むつもりはありますか?」

「……証拠って。だって俺やってないし」

「なのに家に帰ることは許されないどころか、家族が増山さんに会いにくることさえ禁じられる。人質司法っていうんですよ、こういうの」

「人質司法……?」

「警察や検察それに裁判所は、被疑者である増山さん自身の身柄を人質にして、自分たちに都合のいい自白を取ろうとしてるんです。代用監獄と呼ばれる留置場に勾留し、家族にも会わせず外部と接触させないことで精神的に追い詰める。拷問をやってた江戸時代と根っこは何も変わらない。二十一世紀にもなって、この国にはまだ人権が存在しないのかよって思いますよ──ふざけんじゃねえよ、って」

 増山の口がかすかに開いている。

「増山さんがむかつくのも、ごもっともなんです。私だってすぐにでも増山さんの身柄を解放させたいし、お母様にも会えるようにしたい。お母様に手紙を書いていただくようお願いします。衣類の差し入れも準備してもらってると思うので、持ってきます。他に困ってること、ありますか? 読みたい本とか雑誌とかあれば言ってください」

 増山は少し考えてから、ためらいがちに口を開いた。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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