◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第5回

裁判員や裁判官の心証は、シロへと傾いている。志鶴が確信したそのとき──。
「……私は、栗原学さんを殺すつもりなんて、ありませんでした。あのときは、ただ、自分の身を守ろうと無我夢中で……」
嗚咽(おえつ)で、彼女の言葉は途切れた。
「すみません……私からは、以上です」
彼女は法壇に向かって頭を下げた。
それでいい。充分だ。星野沙羅の言葉は少なかったが、真実にあふれていた。事実認定者たちの心証は今、はっきりとシロの方へと傾いている。
終わった──志鶴が思ったそのとき、検察官席の世良が立ち上がり、裁判長の方へと歩み寄った。志鶴も反射的に席を立つ。世良が何事か裁判長に言い、裁判長がこちらを見た。志鶴も裁判長の方へ向かう。
「被害者遺族の方から、最後にもう一度陳述がしたいという申出がたった今ありました。弁護人、いかがお考えですか」
公判期日の間、終始穏やかな表情を浮かべている裁判長は、やはり穏やかな表情のまま、信じがたい言葉を口にした。
「同意できません!」志鶴はすかさず抗議する。「刑事訴訟規則第217条の36。"法第316条の38第1項の規定による意見の陳述は、法第293条第1項の規定による検察官の意見の陳述の後速やかに、これをしなければならない。"──すでに検察官の論告のあと、弁護人による最終弁論と被告人による最終陳述まで終わっています。被害者の意見陳述は許されません。異議を申立てます」
「いや」と世良が口を挟む。「同じ刑訴規則第217条の37に、裁判長は、被害者の意見陳述に充てる時間を定めることができるとあります。これを拡張解釈すれば問題ないでしょう」
裁判長は、左右の裁判官と話し合ってから、志鶴と検察官を見た。
「弁護人の異議を棄却します。被害者遺族の意見陳述を認めます」
「納得できません」志鶴は食い下がった。「刑事訴訟法第295条。訴訟関係人の陳述がすでにした陳述と重複するとき、裁判長は制限することができる。裁判長、陳述を制限してください」
裁判長は志鶴のその言葉には応えず、曖昧な笑みを浮かべた。
「弁護人は席に戻ってください」
志鶴は唇を嚙(か)んだ。
「──証拠とならない旨、改めて注意してください」
裁判長と検察官をにらみつけてから、弁護人席へ戻った。
「えー、被害者遺族の方から、最後にもう一度意見陳述をしたいという申出がありましたので、許可します。裁判員の方々に注意します。こちらの陳述を事実認定に関する証拠とすることはできません。被害者遺族の方、どうぞ」
裁判長が法廷内に向かって言った。
栗原未央が立ち上がり、証言台の前まで歩いた。法壇に向かう。口を開いた。
「私には、被告人の弁護士さんのように上手に話すことはできません。法律のことも、詳しくないです。でも、一つだけ言わせてください」
そこで言葉を切った。
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