◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第53回

検察側が持ち出した強力な物証──志鶴は都築と対策を講じるが……。
増山の実家を出た二人は、都築の運転で都心へ向かう途中に見つけたファミリーレストランで遅い夕食を摂った。
「今日はありがとうございました」志鶴は言った。「私一人ではとてもあんな風には」
増山も文子も精神状態がどん底まで落ち込んでいたのに、都築の言葉で生気が蘇(よみがえ)るのを志鶴は目の当たりにした。自分を卑下する気はないが、やはり都築は弁護士としての格が違う。
「そんなことはないさ」都築が言った。「状況がまったく予断を許さないのも変わりない。物証について現時点でどう評価する?」
志鶴は周囲を見回してから、
「──正直、ショックです」
片手を額に当てる。田口や増山の前では出せなかった本音だ。
「証拠開示されてみないと何とも言えませんが……増山さんの供述と完全に食い違っていて。一体どう考えていいか──」
「証拠が開示されたところで後手に回らぬよう、今からイメージだけでもしておくべきだ。考えられる可能性は?」
志鶴は顔を上げた。
「……まずふた通り。警察が発見したという煙草の吸い殻が本当に増山さんの物である場合と、そうでない場合。後者には警察による意図的な捏造あるいは鑑定不正あるいは鑑定ミスの三つが考えられます」
「前者の場合、なぜ増山さんが行っていないはずの現場で発見された?」
「別の場所で発見されたかあるいは意図的に入手したものを警察がその場所で発見されたかのように偽装した。あるいは、他の何らかの偶然でその場所に移動した。たとえば──通勤途中に千住新橋の上で喫って投げ捨てた吸い殻が、現場まで風に飛ばされたとか。でも、五百メートル近く離れた場所ですし、その可能性は限りなく低そうですね」
「つまりこういうことかな。増山さんが噓をついていたり、記憶が誤ったりしていない限り──われわれはそう前提しているわけだが──捜査機関による証拠物の捏造、収集方法・発見場所についての虚偽報告という違法な捜査、もしくは鑑定ミスである蓋然性が高い、と」
「そうなると思います」
「こちらの対抗策は?」
「まず弁護人による現場調査と記録化。それと──公判でDNA鑑定の専門家証人を立てて証人尋問で証拠を弾劾し、かつ、検察側が立てるであろう専門家証人を反対尋問で叩き潰す」
都築が微笑んだ。
「対策が決まれば、もはやそこに頭脳の貴重なリソースを無駄に割く必要はない」
二人が注文した料理が運ばれてきた。
「ほう。なかなか本格的なステーキじゃないか」
ナイフとフォークを手に取ると、都築は残念そうな顔でこう付け加えた。
「アメリカなら、車でもワインの一杯くらい飲めるんだけどなあ」
都築が志鶴を家まで送り届けてくれたときには午後十一時を回っていた。こんな時間でも家の前には十数人の取材陣がいた。一時減ったものの、今日増山が殺人を認める自白をしたことでまた増えたのだ。カメラが向けられ、マイクが突き出され、フラッシュが焚かれる。コメントを求める声。すべて無視して郵便ポストをチェックして玄関に滑り込む。
ポストは空だったがダイニングテーブルの上には志鶴宛ての封書や葉書がいくつか置いてあった。送り主の住所氏名がないものばかりだ。増山への志鶴の弁護活動を糾弾し中傷しあるいは威迫する匿名の郵便物のほとんどは事務所に届いたが、なかにはこうして自宅に送りつけられるものもあった。
父親の健一はリビングで焼酎を飲みながらテレビを観ていた。
「お帰り」
「ただいま……郵便物、ありがとう」
「ああ。それより志鶴──」ソファの上で姿勢を変えこちらに向いた。「大丈夫か?」
「何が?」
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