◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第53回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第53回
第三章──物証 08
検察側が持ち出した強力な物証──志鶴は都築と対策を講じるが……。

 健一は立ち上がり、こちらへ近づいてきた。

「いや。守秘義務があるからあれなんだろうけど……あの、ほら、現場で見つかったっていう」

 何やら歯切れが悪い。

「煙草の吸い殻?」

「──そう! 今どきDNAは絶対だろ? あんなものが出ちゃって、一体どうするつもりなのかなって。あ! 守秘義務あるから答えなくていいからな」

 矢継ぎ早に付け足した。志鶴は笑った。

「じゃあ、守秘義務に触れない範囲で」茶化さず答えることにした。「『絶対』なんてないよ──警察の捜査に」

 健一は何かを思い出したような顔になった。

「そうか……そうだったな。負けられないな、篠原(しのはら)君のためにも」

「──うん」

 二階の自室で着替えたところでスマホに着信があった──杏だ。慌てて通話ボタンをタップする。

「杏──? やっとかけてくれたんだね。どうしてる? 元気?」

『──しづちゃん』久しぶりに聞く杏の声は沈んでいた。『しづちゃんはさ……レイプした人でも弁護するの?』

「えっ……?」思いもよらぬ質問だ。「レイプって、あのレイプだよね? うん──するよ。弁護士だからね」

『……なんで? レイプ犯が許せるの、女なのに?』

「許すとかそういう問題じゃなくて。どんな人にも適正な弁護を受ける権利があるんだよ」

 杏が息を吸うのが聞こえた。

『やっぱ"ジンケンガー"なんだ、しづちゃん、って──』

 訊き返そうとして気づく。「ジンケンガー」とは「人権ガー」──死刑反対派の弁護士など人権擁護派の人間を揶揄(やゆ)するネットスラングだ。右派が左派を攻撃するときに使われることが多いとは知っていたが、そこまで一般の認知度が高い印象はなかった。

「どこでそんな言葉知ったの?」

『みんな言ってるよ、学校で』声が尖ってきた。『男子たちが聞こえるように笑ってた……このクラスの誰かをレイプしても、人権ガーの川村弁護士が無罪にしてくれるからオッケーだよな、って……』

 涙声になった。

「そんな──」志鶴は息を呑んだ。「大丈夫、杏? 今からそっち行くから、待ってて」

『馬鹿なこと言わないで──!』母親の声に代わった。『こっちの家にまでマスコミが来たらどうするの? 自分のせいで妹がこんな目に遭って満足してる? 杏はもう学校行きたくないとまで言ってるの。あなたにも会いたくないって。ろくでもない事件が終わるまで、もう連絡してこないで──』

「ちょっと待って。杏──!」

 通話が切られた。志鶴はすぐ折り返したが、杏のスマホは通話中の音が鳴るばかりでつながらなかった。

(つづく)
 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

詠坂雄二さん『君待秋ラは透きとおる』
★編集Mの文庫スペシャリテ★『ルパンの娘』横関 大さん