◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第54回

いつもとは反対方向の列車に乗る志鶴。人知れず訪れるその場所は──。
第四章──原点
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翌朝、志鶴(しづる)は少し早く家を出て最寄り駅のいつもとは反対のホームに立った。乗り換えて向かったのは横浜、東横線の白楽駅だ。
十分ほど坂を上ると寺に隣接する墓地に出た。仏花や線香も売る休憩所はもう開いていたが寄らずになかへ進む。志鶴が足を止めたのは「篠原(しのはら)家」と彫られた墓石の前だった。
水鉢にはまだ新しい仏花が生けてあり、香炉には燃え尽きた線香が残っていた。尊(たける)の家族が来たのだろう。示し合わすことはないが志鶴も彼岸には欠かさず来るようにしている。今年はこれが初めてだった。
輸入食品を扱う店で買っておいたチェリーコークの缶を墓前に供えて手を合わせる。風が起きて墓の横に植えられているコデマリの葉がそよいだ。墓誌の最後には尊の戒名と俗名、没年月日に続いてこう刻まれていた──「行年 十七歳」。
「そうかあ」パラリーガルの森元逸美(もりもといつみ)が箸を止め相づちを打った。「キツいねえ、最愛の妹の口から『人権ガー』は」
「ええ」志鶴は答える。「ただ……学校で男の子たちに聞こえよがしに言われた妹の方が傷ついたと思います」
同期の三浦俊也(みうらしゅんや)が味噌汁椀(みそしるわん)を置いて口を開く。
「そういう卑劣で陰湿な連中からは距離を置くのが一番だと思うけど、中学生にとって学校ってほとんど世界にも等しいからな。悪質ないじめに発展する前に教師に相談すべきじゃないか」
秋葉原にある事務所近くの天ぷら屋。前後と仕切りで隔てられた半個室のテーブルを三人で囲んでいた。ランチタイムには手ごろな値段で定食が食べられる。森元が志鶴を誘い、居合わせた三浦も乗ってきた。
「私が中学生の頃は考えられなかったなあ」と森元。「弁護士を家族に持つ子がクラスにいたらむしろ憧れの対象になってたと思う」
「弁護士の収入もどんどん下がってきてるみたいだし、社会的地位やイメージが比例しても不思議じゃないです」
三浦の口調には自嘲がにじんでいた。
「『人権ガー』って、犯罪者やマイノリティの人権尊重を訴える左派やリベラルに対する右派の揶揄(やゆ)よね。世の中それだけ右傾化してるってこともあるのかしら」
「だとすれば教育の敗北と言わざるをえませんね。戦後の日本の公教育は左派、いわゆるリベラルなイデオロギーが支配的だったはずなのに、リベラリズムで何より大切な人権について否定的なイメージしか植えつけられなかったということになりますから」
「たしかに小中学校で人権についてちゃんと教えてる印象はないか。ただでさえクラスの統率に苦労してる先生からしたら、生徒に下手に人権感覚なんか身に着けられたら管理できなくなったりしてね」
森元は冗談めかして笑った。
「それがあながち笑い話でもないみたいなんですよ。人権団体の人から、研修に参加する教員に人権の定義を訊(たず)ねると、最も多い答えが『優しさ・思いやり・いたわり』だと聞いたことがあります。教師の側にソリッドな理解もないまま生徒に教え、誰にでも人権があるから人を差別してはいけない、みんなで仲良くやっていきましょう──そんなふわっとした心情的な結論で締めくくっている実情がある。教わった生徒が、自分たちこそその権利の主体なのだと感じるのは難しいでしょう。一方、社会でそんな言葉を声高に使う大人はテレビのニュースで見る人権派弁護士や社会活動家くらい。そういう大人は犯罪者とかマイノリティとか、何かろくでもなさそうな連中や少数者──多くの人にとって『自分たち』の側でない人たちの味方をしている。人権という言葉にアレルギー反応が起きるのもある意味当然かと」