◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第55回

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第四章──原点 02
志鶴には、弁護士を目指すきっかけとなるある事件があった。

 

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 高校二年生の夏休み。第一報はテレビのニュースだった。母親が作った昼食を四歳だった妹と三人で食べている最中に飛び込んできた。午前十時半頃、近畿地方のX県で走行中の県警白バイの進路に対向車線から原付バイクが飛び出してきて正面衝突した。白バイと原付バイクの運転手は病院に搬送され、どちらも重傷。県警では原付バイクを運転していた「十七歳の少年」を自動車運転過失傷害の疑いで調べているとの報道だった。

 短い時間だが現地の映像が流れた。山間の道路だ。大勢の警察官と道路の半分を隠す青いビニールシートの囲いが見える。現場はその囲いのなかなのだろう。

「十七歳って……あれ、篠原君もあの辺にいるんじゃなかった?」母親が志鶴に言った。

「うん……」 

「まあさすがに偶然でしょうけど」

 だが志鶴は携帯をつかんでいた。

 篠原尊は三日前から一人で旅行に出ている。愛車であるバイク──五十㏄のホンダ・スーパーカブ──に荷物を積み、東京からフェリーで大阪へ向かい、そこから近畿地方をツーリングしてまたフェリーで帰ってくるという旅程だ。

 篠原は今朝、一番親しくしているバンド仲間のメーリングリストにX県入りしたと報告していた。志鶴たちメンバーはそれぞれ現地の名物である食べ物を挙げ、無言のうちに土産としてねだる大喜利が始まった。「全部は無理(笑)。てかお前らレインアンドボウズの仲間には俺が何かとっておきを探してやるって」という返信の後、メーリングリストに篠原からの送信はない。

 志鶴は彼に電話をかけた。電源が切れているか電波が届かない場所にある、という電子音声のメッセージが返ってきた。胸騒ぎがした。メーリングリストや電話でバンド仲間にニュースを知らせ、篠原の現状を知っているか訊ねた。誰も知らなかった。

 志鶴は一度必要があって交換した篠原の母親の携帯番号にかけた。

「川村さん……?」動揺しているような声だ。「さっき、X県の警察だっていう人から電話があったの。尊……事故で病院に運ばれて意識がないって……川村さん、もしかして何か知ってる?」

 彼女は夫と共にそれからすぐX県へ飛び、篠原が搬送された病院へ駆けつけた。

 篠原は緊急手術を受けたが、意識を取り戻さないまま翌朝早くに亡くなった。肝臓破裂が死因だという。白バイ隊員は骨折などで全治二ヵ月と診断されたが、命に別状はなかった。

 篠原の遺体は、検視のみで司法解剖にはかけられず、亡くなって八日後に葬儀が行われた。志鶴も参列し遺体と対面したが、彼の死を受け入れるのは簡単ではなかった。初めて経験する友人、それも親友と呼べる人間の死。

 志鶴だけでなく他のメンバーも誘ってバンドを起(た)ち上げ、「RAIN&BOZE」(レインアンドボウズ)──虹を意味するレインボーにかけた名前をつけたのは篠原だった。レインボーカラーが多様性を象徴しているというのが大きな理由だった。

 喪失感だけではなく、事故の翌日、篠原が自動車運転過失傷害保護事件の被疑者として書類送検され、被疑者死亡のまま不起訴となった事実も受け入れがたかった。ラブ&ピースという自らのモットーに馬鹿正直に生きていた篠原は暴力や違法行為とは無縁だった。彼を知る誰もがそう思っていたはずだ。その篠原が人を傷つけた罪で事実上有罪となった。

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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