◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第56回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第56回
第四章──原点 03
事件の詳細を語る志鶴。──警察の作成した調書には決定的な疑問点が……。

 篠原の両親には鑑定人の言葉がすぐには呑(の)み込めなかった。

「──センターラインをはみ出していなかったどころか、尊のバイクは止まっていたと?」父親は信じられない思いで訊ねた。

「私はそう考えます」鑑定人は断じた。「タイヤ刻印の転写だけでなく実況見分調書には他にもおかしな点がある。二台の車両の写真を見比べると、白バイの車体には転倒後に路面を滑走した際の擦過によってできた傷がたくさんある。ですが実況見分調書で接触により転倒した後ガードレールにぶつかり、勢い余って十メートル近く路面を滑走したとされる尊さんのスーパーカブの車体の左側にはそのような傷が確認できません。専門的なことになりますが、制動距離と二台の横転後の距離に基づく速度の計算にも明らかな矛盾がある。実際の衝突地点も調書の図面に描かれたのとはかけ離れた場所だったと推測されます」

 鑑定人はそこで言葉を切って篠原の両親を見た。

「詳しいことは報告書にまとめてありますが、実況見分調書には警察による意図的な事実の歪曲(わいきょく)があるというのが私の見解です。タイヤの刻印ロゴに話を戻しますと、接触時のスーパーカブのマフラーに対する角度も調書と矛盾する。もし調書のとおりの衝突状況なら刻印はマフラーに対して垂直方向に転写されているはず。ところが実際にはご覧のとおりマフラーに対してほぼ水平に転写されています」

「……どういうことですか?」

「実況見分調書には白バイはスーパーカブとの衝突後に転倒したとありますが、それではこんな角度で刻印が転写されるはずがない。この刻印の角度から導き出されるのは、スーパーカブと衝突したときにはすでに白バイは転倒していたという推論です」

「そんな──警察の言い分はまるっきり噓(うそ)ってことじゃないですか」

「私の鑑定結果ではそうなります。尊さんは何らかの理由でスーパーカブをガードレール近くの路肩に停めていた。そこへ対向車線から白バイが走ってきた。白バイはおそらく制御を失って転倒し、尊さんのスーパーカブに突っ込んだ。あの日事故現場で起きたことのすべてを詳細に推測するのは不可能ですが、衝突時の状況についてはかなりの確度でそう推定できると思います。実況見分調書を通じて警察が提示した状況説明とは反対に、事故の過失は尊さんではなく白バイ隊員の方にあった。それが鑑定によって導き出される結論です」

 篠原の両親は顔を見合わせた。警察が事実を隠しているのではないかという疑念は当初からあったものの、鑑定人の指摘どおりだとすればそれどころの話ではない。

「尊は──あの子は本当は被害者だったのに犯罪者に仕立てられたってことですか? まさか警察がそんなこと……」

 篠原の母親が絶句する。

「残念ながらありえないとは言えません」小池弁護士が言った。「もし事実が今の鑑定どおりなら、自動車運転過失致死で罪を問われるべきは白バイ隊員です。それを認めれば彼個人のみならず警察組織そのものが世間に糾弾されるでしょう。日頃市民のために働く警察が事実の歪曲や隠蔽などの不正を行う一番の動機は、自分たちの組織を守るためです」

(つづく)

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。