◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第59回

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第四章──原点 06
小池弁護士による反対尋問はつづく。県警の隠蔽工作を暴けるのか──?

「異議あり──!」被告代理人の声が響く。「今のは完全な誤導尋問です! 原告代理人はまったく供述にない事実を存在するかのごとく前提し被告を混乱させています」

「異議を認めます」裁判長が小池弁護士を見た。「質問を撤回するように」

「はい。質問を変えます」

 小池弁護士は慌てる様子もなく別の証拠を提示した。実況見分調書の事故現場の見取り図と、白バイと原付バイクの鑑識写真だ。

 この日の前日には原告側被告側双方の専門家証人の証人尋問が行われていた。原告側の専門家証人は小池弁護士が事故の鑑定を依頼した鑑定人で、被告側の専門家証人は実況見分調書を作成した警察官と鑑識課の警察官だ。支援者たちによれば原告側と被告側の鑑定証人同士は真っ向から対立する見解を一歩も退(ひ)かずにぶつけ合い、主尋問・反対尋問も火花が散るような緊張感に満ちたものだったらしい。鑑定人は法廷で警察が作成した実況見分調書の矛盾点について指摘し、衝突時の両車の速度、衝突地点についての疑いと証拠から導き出される別の見解を示した。ブレーキ痕が捏造された可能性も示唆していた。 

「この二つの車両の写真を見てください。車体の傷が確認できますね」小池弁護士はそれぞれの写真について白バイ隊員の言質を取った。「白バイの車体の左側面には路面を滑走した際にできた擦過傷が数多くありますが、それ以上の距離を滑走したとされる原付バイクの左側面には擦過傷は確認できません。そうですね」

 白バイ隊員は証拠となる画像を見てしばらく考え込むように沈黙していたが、

「……どうですかね。傷、あるようにも見えますけど」

 しらを切っている──志鶴はそう感じて苛立(いらだ)った。首根っこを押さえつけて力ずくで本当のことを白状させてやりたいくらいだ。だが小池弁護士は彼の反応を冷静に受け止めた。

「原付バイクのマフラーを見てください」小池弁護士は白バイ隊員に、「UNLO」というアルファベットが反転して転写していることを認めさせた。「あなたの証言のように、双方が五十キロ以上の速度で動いていたらこんな風にくっきり文字が転写されることはない。白バイが衝突したとき、篠原尊さんの原付バイクは止まっていた。違いますか」

 白バイ隊員の体に緊張が走った。彼が口を開く前に被告代理人が「異議あり!」と叫んだ。

「原告代理人はまたしても悪質極まりない誤導尋問を行っています!」

「異議を認めます」裁判長が小池弁護士をにらみつけた。「原告代理人はこれ以上供述に現れていない事実を仮定して被告を混乱させるのを慎むように」

 自分が法律の素人だからか、裁判長の振る舞いは志鶴にはまったく納得できなかった。裁判長というのは本来公正であるべき立場の人間ではないか。だが志鶴の目には被告側に一方的に肩入れしているようにしか見えなかった。

 志鶴の感想だけではない。支援者によれば、昨日の証人尋問でも、被告側証人である鑑識官に小池弁護士が反対尋問を行った際にそう感じさせる一幕があったという。事故直後A氏がブレーキ痕を見ていなかったことを質問された鑑識官が返答に詰まっていると、あろうことか裁判長が「雨が降ったばかりだったので路面が濡れて見えなかったんじゃないですかね」と助け船を出したのだ。鑑識官はそれに乗り「そ、そうです。路面が濡れていたから見えなかったんだと思います」と答えてその場をしのいだという。

「──わかりました」小池弁護士が白バイ隊員に視線を戻した。「事故直前、あなたは緊急走行の訓練はせず制限速度である五十キロを守って走っていた。そうですか」

「はい」

「事故直前に白バイの速度計を見て確認したということですか」

「──はい」

「確かに五十キロは超えていなかった?」

「はい」

「正確には何キロでしたか」

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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