◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第59回

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第四章──原点 06
小池弁護士による反対尋問はつづく。県警の隠蔽工作を暴けるのか──?


「……四十七、八キロでしょうか」

 小池弁護士はうなずいた。

「主尋問であなたは本件事故について自分の側に過失は一切ないと主張されました。そうですね」

「そうです。そう思っています」

「あなた自身は道路交通法の安全運転義務に違反するような走行はしていなかった。そう言い切れるということでしょうか」

「──はい」

 小池弁護士は証拠として安全運転の義務を定めた道路交通法第70条を示したうえで安全運転義務違反に該当する行為を挙げ、白バイ隊員にそれを犯していないか確認していった。ハンドル操作の誤りやブレーキのミスの結果である運転操作不適。漫然運転や脇見運転の結果である前方不注意。白バイ隊員はいずれについても否定した。

「動静不注意、つまり他の車──ここでは篠原尊さんの原付バイクですね──の動静の注視を怠ることはしませんでしたか」

「怠っていません。ちゃんと見ていました」

「当日は朝から雨が降り、事故の二十分ほど前にあがったばかりでしたが視界はよかったと主尋問で証言されました。それは本当ですか」

「本当です」

「あなたの視力は左右とも二・〇。裸眼でも問題なく原付バイクや篠原尊さんを目視できたと。それも事実ですか」

「はい」

「では、予測不適はどうですか。『向こうがよけてくれると思った』といった勝手な思い込みで、相手の動きの予測を誤って事故になれば、あなたの側にも安全運転義務違反があることになりますが、その違反もしていないと断言できますか」

 白バイ隊員が答えるまでに少し間が空いた。「断言できます」

 一連の質問には主尋問で白バイ隊員が答えたのと重複する内容もあったが、被告代理人が異議を唱えないのは白バイ隊員側の主張を補強すると考えたからだろう。

 小池弁護士は大きく息をついてから片手を額に当てて二、三歩歩き、また元の場所へ戻ってきた。平然と噓を重ねる相手の主張を切り崩せないまま考えあぐねているようにも見える。頑張れ。志鶴は拳を握り締めた。

「安全運転義務を守って前方を注視しながら走っていたあなたの対向車線に篠原尊さんが運転する原付バイクが現れた。原付バイクの速度は時速五十キロから六十キロだったと証言されていますね。率直な疑問なんですが、追尾している車両ならともかく対向車の速度なんてわかるものですかね」

「それは──白バイ隊員としての経験で」

「経験、つまり目測による勘ということですか」

「……そうです」その返答にはこれまでのような力強さは感じられなかった。

「なるほど。一部のパトカーには対向車の速度を計測できるレーダーが車載されているそうですが、被告の白バイはそうしたレーダーを使って篠原さんの原付バイクの速度を計測したわけではなかったんですね」

「ええ」

「それでも実況見分調書に書かせるほど目測には自信があると?」

「あります」小池弁護士の言葉にかぶせるように白バイ隊員が答えた。

「レーダーで計測しなくても、あなたの白バイ隊員としての経験に鑑みて、篠原尊さんの原付バイクは確かに五十キロから六十キロの間で対向車線を走ってきた、こう断言できるわけですね」

「──はい」白バイ隊員の声には苛立ちが感じられた。

 小池弁護士はここで少し間を空けた。

「ところで白バイ隊員であるあなたは交通法規のプロ、専門家ですが『視距』というものをご存じですか」

(つづく)

連載第60回

里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

物語のつくりかた 第16回 水戸岡鋭治さん(インダストリアル・ デザイナー)
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