◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第6回

判決から三日後、同期の三浦が口にしたのは刑事弁護士の苛酷な現実だった。
第一章──自白
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「どうした。全然食べてないじゃん」
三浦俊也(みうらしゅんや)が言った。
職場近くのワインバル。夕食を誘われ、仕事に区切りをつけてやって来た。
テーブルには、料理が盛られた皿が並んでいる。砂肝のコンフィを使ったサラダ。鯖(さば)のリエット。レンズ豆とソーセージのケーク・サレ。志鶴はそのいずれにも手をつけていなかった。
「……星野さんは食べられないんだよね」
公判審理最終日の十日後、星野沙羅に下されたのは実刑の有罪判決だった。懲役十六年。
裁判長が読み上げる主文を聞いた直後、星野は自らの足で立っていられなくなり、付き添いの刑務官に抱えられた。志鶴自身、建物の床が抜けたように感じた。必死で気を取り直して彼女に控訴を勧め、励ました。が、言葉が届いている様子はなかった。
それが三日前のこと。
志鶴は拘置所に足を運んで接見し、星野を説得して、すぐにでも控訴の申立てをするよう、そして引き続き自分を弁護人として選任してくれるよう説得し、了承の言質を引き出したが、彼女の目は死んだようにうつろなままだった。接見室のアクリル板越しに見たその目がずっと脳裏に焼き付いて離れない。
「……川村はベストを尽くしたと思うよ」三浦俊也が言った。「あれ以上の弁護はなかなかできないんじゃないかな」
三浦と志鶴は司法修習生時代に知り合った同期だ。共に新人として去年の四月に同じ弁護士事務所に入所し、まもなく一年目を終えようとしている。秋葉原にある、日弁連などの支援を受けて開設された公設の弁護士事務所だ。弁護士過疎解消などを目的として全国に設立された事務所の一つだが、刑事事件にも力を入れている。
三浦も志鶴も、修習生の頃から刑事事件の弁護人を志していた。三浦は修習生の同期でも一、二を争う優秀な人物で、望めば裁判官にも検察官にもなれただろう。一方の志鶴は、優秀さでは彼にはるかに及ばなかったものの、刑事弁護に懸ける情熱では誰にも負けない自信があった。
自ら猪突猛進(ちょとつもうしん)型と認める志鶴と冷静沈着な三浦とは性格も対照的だが、志を等しくする同士として気が合った。弁護士登録後、志鶴は、所属する弁護士会の刑事弁護委員会など、刑事弁護に関連するいくつかの組織に加入し、各種セミナーに参加しているが、そうした場でも顔を合わせることが多い。
今回の事件も、志鶴は、自らの弁護方針について折に触れ相談してきた。入所一年目の志鶴には先輩の弁護士が指導係としてついていたが、志鶴は三浦の方を信頼していた。最終弁論についても、三浦の前でリハーサルを行い、助言を容れて練り上げたのだ。
「……そう思う?」志鶴は目の前の同期に訊(たず)ねた。
「ああ」三浦は穏やかに、しかし力強く肯定した。
志鶴は唇を嚙(か)み締める。駄目だ。こらえようとしたのに、嗚咽(おえつ)が漏れてしまう。そうなるともう歯止めが利かなかった。涙がぼたぼたとこぼれ落ちる。
「──勝てると思ったのに……今度こそ……」
星野沙羅の案件の前に、志鶴は二件の否認事件を担当し、いずれも敗訴した。業務上過失致傷事件と強盗致傷事件だ。星野の案件は中でも一番重い求刑だったが、負ける気はしなかった。依頼者である星野には一切過失はない。志鶴はそう確信していた。