◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第60回

数々の証拠を提示していく小池弁護士。対して白バイ隊員は……。
「しきょ──」白バイ隊員は確認するように繰り返した。「はい、知っています」
「ここで被告の供述を明確にするため証拠を示します」
小池弁護士が提示したのは「視距に関する規定」というタイトルのスライド資料だった。
「こちらは国土交通省が作成した『道路構造令について』という資料の一部です」
スライドには「視距」の説明として「自動車の交通の安全性・円滑性を確保する観点から、必要とされる設計速度に応じ進行方向の前方に障害物等を認め、衝突しないように制動をかけて停止することができる道路の延長を視距として定めている」とあり、小池弁護士はその内容を白バイ隊員に確認させた。
「『視距は、設計速度に応じ、表に掲げる値以上とする。車線の数が2である道路においては、必要に応じ、追越しを行うのに十分な見とおしの確保された区間を設ける』と定められています。この定義もご存じですか」
「はい」白バイ隊員が答えた。
本当に知っていたかどうかはわからない。警察官だからといって法律に通じているとは限らない。むしろ反対の場合の方が多いと小池弁護士は語っていた。しかし白バイ隊員である以上知らないと答えるわけにもいかないのだろう。もしそんな答えをしたら安全運転義務をきっちり守って走行していたという主張の信用性が弱まる。
国賠訴訟を起こされると、警察は内部に専門のチームを組んで対策に当たるという。証人尋問に臨むに際し、白バイ隊員も被告代理人弁護士と入念に打ち合わせをしているはずだ。小池弁護士が視距に関する証拠を提示することは相手方も了承ずみ。白バイ隊員も訊かれれば答えられるくらいには入れ知恵されている可能性が高いのではないか。
ところで小池弁護士はなぜここで視距というものを持ち出したのだろう。その狙いが志鶴にはわからなかった。
「本件事故現場付近の最高速度は時速五十キロに制限されていますが、道路構造上の設計速度は時速六十キロ」小池弁護士が続ける。「視距は設計速度に応じて定められる。こちらの表にあるとおり、設計速度が六十キロの場合の視距は七十五メートル。これもご存じでしたか」
「はい」
小池弁護士はここでまた別の証拠資料を提示した。交通事故鑑定人の協力を得て作成した検証を文書化したものだ。
「設計段階で七十五メートル以上の見通しがなければいけないとされていた本件事故現場付近の道路ですが、原告側の検証実験により実際の見通しはさらに長い約九十メートルあったことがわかりました。こちらの検証実験はX県警が作成した実況見分調書の見取り図を元に行ったものです。検証実験の位置関係が実況見分調書と一致しているかご確認ください。一致していますね」
白バイ隊員はしばらく証拠を見ていたが、「……そう見えます」と答えた。
「別の証拠を示します」
小池弁護士が提示したのはやはり鑑定人の協力を得て作った事故現場の見取り図だった。
「実況見分調書の記述を元に、白バイから原付バイクが視界に入った時点での両車の位置関係と距離、両車の速度を書き加えたものです。最初に原付バイクが視野に入った時点で白バイとの距離は九十メートル。両者の速度はそれぞれ被告の供述の最大値、白バイが時速四十八キロ、原付バイクは時速六十キロとします。これを秒速に換算すると白バイは約十三・三三三メートル。原付バイクは約十六・六六七メートル。互いに接近して衝突するまでの時間はこちらの数式のとおり三秒という計算になります」
小池弁護士は白バイ隊員を見た。
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