◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第60回

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第四章──原点 07
数々の証拠を提示していく小池弁護士。対して白バイ隊員は……。


「あなたの供述に沿って計算したところ、あなたが最初に原付バイクに気づいてから衝突するまで三秒という時間の猶予があったという結果になりました。あなたが原付バイクに気づいてすぐ白バイのブレーキをかけていれば事故は防ぐことができた。違いますか」

「異議あり!」すかさず被告代理人が立ち上がった。「今の原告代理人の質問は意見を求める尋問です」

「異議を認めます」裁判長が小池弁護士を見た。「質問を変えてください」

「質問を変えます」小池弁護士が言った。「被告は対向車線の前方に篠原さんの原付バイクを見つけたとき、すぐ白バイにブレーキをかけて停止しようとはしなかった。そうですね」

「はい」白バイ隊員が答えた。

「またあなたは、原付バイクに気づいたとき、篠原さんにバイクを停めるよう求めることもしなかった。違いませんね」

「……はい」

 ここで小池弁護士は白バイ隊員の供述調書を証拠として提示することを裁判長と被告代理人に認めさせ、自分自身の「対向車線に、ヘルメットを装着していない運転手が運転する原付バイクを認めた」という供述を白バイ隊員に確認させた。

「道路交通法第71条の四・2項にこうあります。"原動機付自転車の運転者は、乗車用ヘルメットをかぶらないで原動機付自転車を運転してはならない"。ヘルメットをかぶらずに原付バイクを運転することはこの法律に違反し、乗車用ヘルメット着用義務違反という行為に相当する。そうですね」

「……はい」白バイ隊員の声が少し小さくなった。

「あなたは原付バイクを認めた時点で運転手がヘルメットをかぶっていないことに気づいていた。そうですね」

「……はい」

「にもかかわらず原付バイクの運転手に停車を命じることも注意喚起することもあなた自身が白バイを停車させることもしなかった。そういうことですね」

「それは、衝突するまでにその余裕がなかったから──」

「質問には『はい』か『いいえ』で答えてください」

 白バイ隊員はためらってから「はい」と答えた。

 死亡した篠原尊のヘルメット。これも原付マフラーへの白バイのタイヤ刻印の転写と同じく警察側のストーリーのほころびだと小池弁護士は考えている。

 まず前提として篠原はふだんからノーヘルでスーパーカブを運転することはない。スクーター乗りが好むハーフヘルメット、いわゆる半ヘルやジェットヘルメットではなくしっかり顎までガードするフルフェイスを買っていたし、今回のツーリングでもそれを使用していた。そうした事実は篠原の両親も志鶴たち友人も知っていることだ。

 しかし事故直後篠原はヘルメットをかぶっていなかった。これは実況見分調書に書いてあるだけでなく一番最初に現場に駆けつけたA氏も証言しているので、事実と考えて間違いない。なぜかぶっていなかったのか。その必要がなかったからだろう。篠原はスーパーカブを路肩に停車させ路面に降り立っていた。だからヘルメットを外していたのだ。

(つづく)

連載第61回

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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