◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第61回

混乱を極め、紛糾する法廷──。静寂のなかに聞こえてきたものは?
この点について、警察は証拠に手を加えることも実況見分調書に虚偽の記述をすることもしなかった。それがなぜかは推測になるが、小池弁護士の見解では以下のようになる。
事故直後に篠原のヘルメットは現場で発見されなかった。検察への送致記録によれば発見されたのは事故の翌日。道路上ではなくガードレールを越えて谷側斜面の下生えのなかに落ちているのが発見された。だから事故直後X県警が組織ぐるみで練り上げた「筋書き」には反映されていなかった。むしろノーヘルで運転していたという「事実」は、原付バイクの運転手がセンターラインをはみ出すような危険な運転をするという「人物像」を補強すると考えたのではないか。
ヘルメットが発見されてからも、警察はこの筋書きを改めなかった。その事実があとで問題になるかもしれないという想像力が働かなかったからだろう。事故の「事実」をいかようにも操作できる圧倒的に優位な立場による慢心があったのではないかというのが小池弁護士の考えだ。
「あなたは、原付バイクの運転手が乗車用ヘルメット着用義務違反を犯しているのを認知しながら、その事実に注意喚起することを怠った。そうなりますね」
白バイ隊員がうつむいた。「はい」
ここで小池弁護士は証拠として国家公務員法の条文を提示した。
「国家公務員法第96条"すべて職員は、国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務し、且(か)つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない"。ノーヘルを見過ごしたあなたの行為はこの条文に反している。違いますか」
「異議あり!」被告代理人が立ち上がった。「意見を求める尋問です」
「異議を認めます」裁判長が言った。「原告代理人、質問を変えるように」
志鶴は歯嚙みした。一体どこまで被告側に肩入れするのだ。すると傍聴席から「答えさせろよ。警察の味方ばっかりしやがって!」という声があがった。法廷じゅうの視線がそちらに向く。
「誰ですか今しゃべったのは」裁判長が険しい顔で傍聴席をねめ回した。「傍聴人には発言を許可していない。今度何か言ったら退廷させますよ!」
法廷が静まり返る。志鶴には見当がついていた。篠原夫妻の支援者の一人、篠原の父親の友人だ。
「裁判長ならちゃんと公平に裁判を進めてくださいって言ってるんだよ」
その男性が口を開いた。これ以上我慢する気はないと開き直ったような口ぶりだ。私服警官たちが威嚇するような目を彼に向けた。
「当然の話でしょう」彼は続けた。「専門家だか何だか知らないが、法律の素人でも公平か不公平かくらいはわかる。あなたの指揮は明らかに公平じゃない。警察とキンタマでも握り合ってるんですか」
裁判長の顔が歪み、赤黒く染まった。
「退廷ッ──!」不規則発言をした男性に指を突きつけた。「私の法廷から出ていけ! 廷吏、その男をつまみ出せ」
男性は自ら席を立つと裁判長をにらみつけ、それから堂々と出口へ向かった。ドアの近くにいた廷吏の男性は彼に触れることはできず、ドアマンのようにドアを開けると外へ出た彼を見送り、ほっとしたようにドアを閉めた。
裁判長は憤怒の形相のままドアをにらみつけていたが、その顔をさっと小池弁護士に向けた。
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