◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第64回

留置場の鉄格子の向こうで淳彦を待つのは、スーツ姿の男2人だった。
「起床──────ォオオオオ!」
耳をつんざくような留置官の声で目を開く。蛍光灯の光。時間の感覚はないが朝の六時半だ。まともに眠れず横向きでもうろうとしていたが、もたもたしているとひどい目に遭う。起きようとすると体のふしぶしが悲鳴をあげた。他の三人が布団を畳み、空いたスペースに淳彦を含む四人が鉄格子に向かって横一列に座り、両手を前に出す。留置官たちが威嚇するようにガシャンガシャンと鉄格子を鳴らして施錠を確かめながら、各居室の点呼を行う。
その後、居室ごとに扉が開けられ、淳彦以外の三人は、五人の留置官が見張るなか室内の布団を布団置き場へ運んで戻ってきた。
すべての居室の布団が戻されると、今度は掃除だ。留置官が掃除機、バケツと雑巾を部屋に入れる。それまでは交代でやっていたが、40番が来てからは「お前の担当だよな?」の一言でトイレは淳彦が毎日やらされることになった。雑巾を渡されても最初はどうしていいかわからず途方に暮れた。それで便器を拭くのだと教わっても信じられなかった。留置官に「早くしろ!」とせきたてられ、べそをかきながら掃除した。どうして無実の自分が犯罪者が使う小便臭い便器に素手で雑巾がけしなくてはいけないのだ?
掃除が終わると五人ずつ洗面所で洗面させられ、朝食となる。狭い差し入れ口を通じて留置官から渡されたゴザをテーブル代わりに囲み、弁当を食べる。プラスチック容器に入った白飯とおかず──今朝は薄くてぱさぱさの白身魚のフライときんぴらごぼう、薄っぺらなピンク色の大根の漬物──は冷めきっている。温かいのはインスタントの味噌汁(みそしる)と茶だけだ。どれもとんでもなく味が薄い。そのためか柔らかいボトルに入った醬油(しょうゆ)とソースが一セット、留置官によって各居室に回される。
取調べがないと暇だからかここにいる連中はおしゃべり好きだ。第六居室でも淳彦以外の三人は本来禁じられているのに名前で呼び合って、過去の悪事や女遊びを自慢したり、いかに自分たちの罪を軽くするか悪知恵を出し合ったりしている。最初は淳彦にも興味を持ってなぜここへ来たか訊(たず)ねてきたが、本当はやっていないとくり返し話すと彼らはよそよそしい態度を取るようになった。
どうせ話が合うはずもない。犯罪者は死ね。留置場へ入れられてから淳彦は毎日そう思うようになった。こいつらみんな死刑でいい。
食事を終えるとぐるぐると腸が鳴った。同室の三人はすでに順番にトイレで排便をすませていた。スイングドアで隠れるのは一部で、顔は丸見えだ。学校のトイレでさまざまないじめ行為を受けたせいか、淳彦は自宅以外のトイレで排便するのが苦手だった。なるべく取調べの間にするようにしていたが、今日は我慢できないほど便意が高まったのでトイレを使った。
排便後ほどなく、居室の前に留置官が現れ、立ち止まった。昨夜とは違う警官だが、同じように険しい目で淳彦を見据えた。
「37番、調べッ──!」
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「調べ」とは取調べのことだ。第六居室のドアが外から開けられ、淳彦は鉄格子のドアの脇に置かれていた、「37」と書かれた茶色いサンダルを履いた。留置官がドアを閉め、淳彦に手錠と腰縄をつけた。全身が鉛のように重たくなる感覚。手足は冷たくなっているのに、じっとり汗が出た。