◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第65回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第65回
断章──増山 03
事情聴取の翌日、取調室で淳彦はいきなり大声で詰め寄られ……。

「漂白」目次


 
     3 

 淳彦が警察の恐ろしさを思い知ったのは、初日の事情聴取に続き、翌日、足立南署の取調室へと刑事たちに同行したときだった。朝早くに自宅に迎えに来た五人の刑事たちは明らかに昨日よりテンションが高かった。みな目をぎらつかせ、署へ向かうバンの車内では淳彦そっちのけで軽口を叩き合い、ぎっちり淳彦を挟んで座る一人は鼻歌さえ歌っていた。淳彦は不安になった。

 取調室では床に固定された中央の机に向かって座るボスと、壁際の机でノートパソコンを前にしたノッポが待っていた。迎えに来た刑事たちのうち二人が取調室に残った。

 一人はよれよれのスーツを着た痩せて骨ばった男で、年齢はボスの次くらいだろうか。刑事の一人が一度だけ「係長」と呼ぶのを淳彦は聞いていた。

 もう一人は体の大きな坊主刈りの男で、淳彦が「イガグリ」と呼んでいる刑事だ。淳彦の隣で鼻歌を歌っていたのはこの男だった。

 淳彦はドアに近い側、ボスと机を挟んだ正面のパイプ椅子に座らされた。ここまでは昨日と同じだった。だが異なることもあった。昨日は取調室のドアは開けたままストッパーで固定され、その外をパーティションで目隠ししていた。が、今日はそのドアを係長がぴったり閉めたのだ。係長はこちらに戻り、淳彦の斜め前に立つと、いきなりしゃがれ声を張り上げた。

「増山あ──!」

 淳彦は椅子の上でびくっとした。昨日係長は「増山さん」と呼び、こんなふうに声を荒らげることはなかった。

「お前、もう金輪際逃がさねえからな。昨日平気で指紋とDNA採取に応じたのは警察舐めてるからか、おお?」係長は淳彦の顔を覗き込んできた。ぎょろっと大きな、爬虫類(はちゅうるい)を思わせる目。「きっちりカタにハメて死ぬほど後悔させてやるから、覚悟しろ」

 その言葉に噓はなかった。昨日は生前の綿貫絵里香を知っていなかったかと何度も訊(き)かれた。今日も同じ質問がくり返されたが、淳彦が否定すると係長がそのたびに暴言を浴びせてきた。「とぼけてんじゃねえぞコラ!」「噓をつくな噓を!」「お前がやったのはわかってんだよ。正直に話さなかったら地獄に落ちるぞ。いや俺が落としてやる」「彼女じゃなくてお前が死ぬべきだったよなあ増山」「わかってないのか。お前はもう終わりなんだよ終わり」「ふざけんなこのクソ野郎。手前はもうお陀仏(だぶつ)なんだよ、観念して洗いざらいゲロしやがれ」

 淳彦は縮みあがるばかりだった。前日との激しいギャップで困惑する。何が起きているのか理解が追いつかない。

「増山ちゃんさあ」しばらくすると、ボスを挟んで係長と反対側に立っていたイガグリが係長に代わって話しかけてきた。昨日と違ってなれなれしい口調だ。「本当はヤバいと思ってるんじゃないの? 身に覚え、あるもんね?」

 イガグリは色白で、ピンク色の唇がぬめぬめと光っている。

「あるんじゃない、身に覚えが?」そう言ってにやりと笑った。

「……ないです」

「そうかあ。本当に?」

「本当です」

「じゃあこの事件のことはいったん措(お)いておくよ。それはそれとして、好きだよね、ジュニアアイドル?」

「えっ──

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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