◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第67回

嫌疑を否定しづづける淳彦の目の前に、刑事はあるものを置いた。
「いいか増山。お前が正直に話せば、俺はお前を最低限人間扱いしてやる。だが噓をつく限り、極悪の犯罪者とみなし、本当のことを白状するまで徹底的に追及する。お前が泣こうがわめこうがゲロを吐こうが気絶しようがクソを漏らそうがな。それが俺の、殺された絵里香ちゃんへの警察官としての使命だからだ」
係長の目は血走っていた。
「お前は、ニュースで観る前から、綿貫絵里香ちゃんを知っていた」ゆっくり言葉を並べた。「そうだな?」
淳彦は大きく息を吸った。吸おうとした。が、うまく吸えなかった。めまいがした。もう答えたくなかった。帰りたかった。ボスを見た。
「あ、あの……」
「質問に答えろ!」係長が耳元で叫んだ。
ボスは係長を片手で制すと、淳彦に向かって、「どうした?」と言った。
「た、煙草(タバコ)……喫(す)わせてください」
昨日の事情聴取では、途中ボスが淳彦を誘い、喫煙所で一服した。完全にニコチン切れだ。煙草を喫わないと頭が働かない。少しでもこの部屋の外へ出たかった。ボスならわかってくれるかもしれない。
するとボスは、昨日は出さなかったような野太い声で淳彦を打った。
「勘違いしてるんじゃねえか、増山──!」さっきまでとは別人のように険しい目で淳彦を見据えている。「お前、警察署に客にでも呼ばれてるつもりか? 甘ったれるんじゃない! 今日は事情聴取じゃなく取調べだ。俺たちはな、この仕事に命張ってんだよ。見くびるのもたいがいにしておけ。質問の答えはどうした」
淳彦は呆然(ぼうぜん)として唾を飲んだ。脳味噌がフリーズしたみたいに考えがまとまらなかった。懸命に振り絞る。
「け、けど……俺、やってないんです。本当にやってないんです」
ばあん──ッ! 淳彦の言葉にかぶせるように、今度はボスが机を叩いた。
「質問に答えんかッ!」
自分の顔が歪むのが淳彦にはわかった。涙がにじんで、たちまちあふれた。
「──お前には選ぶことができる」係長が低い声で言った。「二つの道から一つをな。一つは正直な人間の道。もう一つは極悪な外道の道。どちらを選ぶかは、質問に対するお前の答え次第だ。では訊くぞ。お前は、ニュースで観る前から、綿貫絵里香ちゃんのことを知っていた。そうだな、増山?」
生温かい涙がこぼれて落ちる。「……知らない。知りませんでした」
係長が息を吸う音が聞こえた。
「つまりそれが答えってわけだ。言っとくが選んだのは貴様自身だぞ、増山淳彦。自分は畜生以下のド腐れ外道だから人間扱いしないでください──手前は今、自分でそう言ったんだ。俺が与えてやった最後のチャンスを踏みにじってな」
係長が机を離れ、一歩、二歩と歩いて淳彦を振り返った。
「お前は、絵里香ちゃんの事件には関係ないと言った。だよな?」
「はい」
「そして、彼女の遺体が発見されたニュースを観るまで、絵里香ちゃんのことは知らなかったとも言った。そうだな?」
「は、はい」
「つまりこういうことだな。もしお前が絵里香ちゃんを知らなかったというのが噓だったら、事件に関係ないという言葉も噓だってことになる」
そうだろうか。よくわからない。
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