◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第67回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第67回
断章──増山 05
嫌疑を否定しづづける淳彦の目の前に、刑事はあるものを置いた。

「考えるようなことか」係長が嘲るような笑みを浮かべた。「小学生でもわかる理屈だ。そもそもお前は噓をついてないんだろ? だったらそれで問題ないだろ。違うか」

 淳彦はうなずいてしまった。

「増山ちゃん」またイガグリが手綱を取り、淳彦の目を覗き込んできた。「訊き方変えようか。いい、質問するよ──増山ちゃん、まだ生きている頃の綿貫絵里香ちゃん、見たことはある?」

 淳彦は言葉に詰まった。

「あ──ありません」

「見たんじゃない?」

「み、見てません」

「本当?」イガグリは淳彦の顔のすぐ近くでにたあっと笑った。

 嫌な感じだ。動悸が高まった。

「……わ、わかりません。ひょっとしたら見たかもしんないけど、覚えてません」

「いやいや、覚えてるでしょ、だって、わざわざ彼女の学校まで行ってるんだから」

 淳彦は息を吞む。なぜそれを──警察にそんなことがわかるはずが。でも、もしかしたら──頭の中がさまざまな考えで混濁する。

「い──行ってない、です」

「行ってない? ファイナルアンサー?」

「……はい」

「そっかあ」

 イガグリは大きく息を吸うと体を起こして壁の方を見た。左右の壁の一方は、刑事もののドラマで観たようにマジックミラーになっている。そちらの方をだ。するとしばらくして、取調室のドアに外からノックがあった。イガグリが近づいてドアを開け、ノックした者から何かを受け取るとドアを閉めた。イガグリが持っていたのはノートパソコンだった。イガグリは淳彦の目の前にノートパソコンを置き、その画面を向けた。

 ──あっ、と声が出そうになった。

 画面いっぱいに映し出されているのは、ソフトボールの試合を撮影した映像だった。星栄中学校のグラウンドで、守備をしているのは星栄のユニフォームを着た女子たちだった。そして──三塁側のファウルラインに沿ったフェンスの外に、煙草を片手に見学している淳彦自身の姿が。

 椅子に座っていたが、両膝が馬鹿みたいにがくがくと震えた。失禁しそうになったが漏らさずにすんだ。全身の血の気がさーっと引いていく感覚。

「これ、増山ちゃんだよね?」イガグリが画面の淳彦を指さして言った。

 淳彦は答えようとしたが、口がぱくぱく動くだけで声が出なかった。

 まさか警察がこんなものを持っていたとは。

「ここに映ってるの、あなただよね、増山ちゃん?」イガグリがまた訊いた。

 淳彦はうなずいた。

「ちゃんと自分の言葉で認めてごらん」

「……すみません。本当は行きました」

「さっき言ったよね。今回の事件とは関係ない、ニュースで観るまで絵里香ちゃんのことは知らなかった、生前の絵里香ちゃんを見たことはない、って。じゃあこれは何なんだろうね。ここ見て。日付は二月十一日。絵里香ちゃんの遺体が発見されてニュースになる十日前。そして──」イガグリはキーボードを操作して映像を一時停止させた。「増山ちゃんの視線の先で、ショートを守ってるこの子、誰だかわかるよね?」

「わ、綿貫絵里香……ですか?」

「当然知ってるよね。なぜ噓ついたの?」

「い、いや──そのときは知りませんでした」

「それはおかしいなあ。この映像を解析して、増山ちゃんが誰に注目しているか時間を計って集計してみたんだよね。結果はどうなったと思う? 星栄と相手チームを合わせて、守備でも打撃側でも、増山ちゃんが一番長い時間目を向けていたのは、綿貫絵里香ちゃんなんだよねえ」

 淳彦の脇の下を冷たい汗が素早くしたたり落ちた。

(つづく)
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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。