◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第68回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第68回
断章──増山 06
すべては恐ろしい偶然の産物だ──淳彦の訴えは刑事たちに届くのか?

「何で噓ついた?」

「だ、だから、そのときは知らなくて」

「何か後ろめたいことがあるんじゃないの?」

「い、いや、そうじゃなくて、つい──」

「他にも隠してることがあるんでしょ?」

 淳彦は懸命に首を振った。

「増山あ!」すると係長が大声で割り込んできた。「お前はこの試合で、絵里香ちゃんに目をつけていた。そうだな?」

 淳彦の全身の細胞がフリーズする。

「お前はこの試合で、綿貫絵里香ちゃんに目をつけていた。そうだな、増山?」

 返事ができなかった。

「答えられないってことは、認めたってことだよなあ?」係長が淳彦の顔を覗き込んできた。

 喉はひくついているが、声は出てこない。

 偶然だ。すべては恐ろしい偶然の産物だった。

 たしかに十六年前、星栄中学校に侵入したのは、ソフトボール部の練習を見るうちにむらむらして、彼女たちの制服を手に入れたくなったからだ。今回の事件の前、ソフトボール部の試合を観ようと思ったのも、性的な興味からだった。

 母親以外の女は絶滅してほしいと思っている。中学時代にいじめを受け不登校になって以来、高校時代も社会に出てからも、淳彦の周囲にいた女たちは淳彦に嫌悪の目を向け「キモい」「ブタ」「近寄るな」「死ね」などの罵声を浴びせ、平然と、公然と、罪悪感のかけらもなくいやがらせをした。自分たちが「キモい」とみなした男に対してはどんなひどい差別をしてもいいと思っている残酷極まりない生き物、それが女だ。淳彦は高校生以上の女から好意を向けられたことはおろか、人並みに扱ってもらった記憶すらない。異性との交際や性交渉の経験はなかったが、ネット上のエロ動画やエロ漫画で女という動物の生臭い生態は学んでいる。自分のような男を嫌悪し排除しつつ、魅力的な男の性器は喜んでくわえて自らの粘膜を濡(ぬ)らし、だらしなく股を開くであろう女どもが、淳彦には淫猥(いんわい)でおぞましくへどが出るほどけがらわしい、本能むき出しの哺乳類のメスとしか思えず、性的な対象として見ることもできなかった。

 淳彦にとって許すことができるのは、自分が不登校になった頃の年齢以下のけがれのない少女だけだった。中学時代に淳彦をいじめたのは男子だけで、当時の同級生女子に抱いていた淡い憧憬は大人になった淳彦の心からも消えていなかった。

 十六年前、性欲にのぼせたような状態でふらふらと星栄中学校に侵入し、制服を盗む前に警備員に見つかり、捕まった。警察も呼ばれたが不起訴になり、解放されたが、母親を悲しませたこともあり、淳彦は星栄中学校に近づかないようにしていた。

 だが、今年の初め、勤め先の新聞販売所で自分が担当する新聞配達のコースが変わったことで、十六年ぶりに星栄中学校の横を通ることになった。夕刊の配達で通った際、グラウンドでソフトボール部が練習していた。それを見てまた興味が湧き、日曜日に出向いて試合を観戦した。年を取ったせいか十六年前のように興奮することはなかったが、淳彦はその中の一人の女子に目を惹(ひ)かれ、動きを追っていた。はつらつとして表情が明るく、チームメイトに向ける目や声に優しさが感じられた。女という生物のおぞましさとは無縁の、心のきれいな少女のように見えた。

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。