◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第69回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第69回
断章──増山 07
淳彦の気持ちとは裏腹に、取調室ではある書類の作成が進む──。


「そこでお前は絵里香ちゃんを強いて姦淫(かんいん)、つまり強姦(ごうかん)した。そうだな?」

 淳彦はうなだれた。どうすればいいのだ。

「その後お前は絵里香ちゃんを刃物で刺して殺した。そうだな?」

 耳をふさぎたくてもできない。涙がこぼれた。

「そしてお前はその場に絵里香ちゃんの遺体を遺棄し、凶器を持って立ち去った。そうだな?」

「……ごめんなさい。もう許してください」口からよだれがこぼれた。

「罪を認めなきゃ反省にならんだろうが。おい」と係長は壁際のノッポに声をかけた。「今の内容で調書作ってくれ」

「はい」ノッポが答え、ノートパソコンのキーボードを打つ音がした。

 何でこんなことになってしまったのだろう。悪夢の中にいるみたいだ。夢なら早く覚めてほしい。淳彦は自分で自分の太ももをつねった。痛みを感じた。淳彦は顔を上げた。係長は立ち上がり、ノッポのノートパソコンを見ている。ボスは正面で表情を変えずに淳彦を見ていた。

「あ、あの──」

「何だ」ボスが言った。

「帰りたいです。帰してください──」

「それはできん」

 がちゃんッ! と淳彦のすぐ背後で音がした。淳彦が立ち上がった拍子に、座っていたパイプ椅子が倒れたのだ。はっきりそうしようと思ったわけでもないのに淳彦はそうしていた。

「──おい!」係長が振り向きざま叫んだ。「座ってろ!」

「座れ、増山!」素早く立ち上がり、ドアの前に立ちふさがったボスも叫んだ。「公務執行妨害で現行犯逮捕するぞ!」

 ノッポも立ち上がり、淳彦の背後に回り込んだ。

「上等だ」係長が前に来て言った。「逃げられると思うんなら、やってみろよ増山」

 どうしていいかわからず、淳彦は立ち往生した。

「ほら来いよ。どうした?」係長が手招きする。淳彦より身長が低く、体重もずっと軽そうだ。が、かなう気がしなかった。

 少し錯乱が収まり、淳彦は椅子に座ろうと腰を落とした。あると思っていたところに座板はなく、空振りした尻がそのまますとんと落ちて倒れていたパイプ椅子の上に淳彦は腰から倒れ込んだ。ガッチャーン! と音をたてて椅子が畳まれ、衝撃と苦痛が淳彦の背中、後頭部を貫いた。息ができなくなる。

「起きろ」ノッポが手を差し伸べ、息ができるようになった淳彦は、手を伸ばしてつかんだ。

 引き起こされ、ノッポが直したパイプ椅子に腰かける。また涙が出て淳彦は指でまぶたを押さえた。何もしたくない。何も考えられない。疲れた。誰か助けて。

 ノッポとボスが席に戻り、ノッポがまたノートパソコンを打ちはじめた。ときどき係長がノッポに何か言い、直させているようだった。

 淳彦は心身ともに疲れ果てていた。こんなに疲れたのは40年以上生きてきて初めてではないか。こうしてそっとしておかれているだけでありがたかった。早くここを出て家に帰りたい。頭にあるのはそれだけだった。

 しばらくすると、壁際の机の上の小型のプリンターが作動する音がし、係長がコピー紙を何枚か持ってきて席に着いた。

「供述調書を読み聞かせる」係長が淳彦に言った。「確認しろ」

 そして手にしている紙を読みはじめた。まず「供述調書」と言い、続いて、淳彦の本籍、住居(地)、職業、氏名と生年月日、年齢を読み上げた。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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