◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第7回

いつもと変わらぬ家族との朝食。テレビではある未解決事件が特集されている。
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「志鶴、あなたまたそれだけ? せめておかずくらい食べたら?」
冷蔵庫から出した牛乳をグラスに注いでテーブルに座った志鶴に、母親が声をかけた。
「ううん、いい」志鶴は答え、グラスに口をつけた。
「ひょっとしてだけど」と言ったのは、隣に座る妹の杏(あん)だ。「好きな人ができたとか?」
「ん? なんで」
「だって。いっつも朝から、『さー、血糖値上げて今日も頑張るぞ!』ってご飯たくさん食べてるしづちゃんが、牛乳だけだよ? もしかして、恋に目覚めてダイエット始めたんじゃないかなあって」
「え?」
中学二年生の妹の思春期らしい発想に、志鶴は目をぱちぱちさせる。
「あ、違った?」
杏は、最近のお気に入りであるはちみつバニラヨーグルトをスプーンですくって、首をかしげた。
「残念ながら、外れ。でも、杏のその勘違い、なんかちょっと感動した」
志鶴は目を細くして杏を見る。
「え……じゃあ、仕事で落ち込んで食欲なくしたとか?」
「うーん、そっちのが近いかな」
「なんだあ。つまんなーい」杏は、がっかりしたような顔をする。
「いやそう言わず心配してよー。むしろそっちのが大変だと思わない?」
「だって、仕事のことは、あたしにはわかんないし。ダイエットとかなら、一緒に考えたりできたのに」
杏は、唇を尖(とが)らせるとヨーグルトを載せたスプーンをくわえた。
口元が思わずほろこぶ。
十三歳も年の離れた妹。赤ん坊の頃にはおむつも替えた。志鶴もかわいがったが、姉によくなついて、ことあるごとに甘えてきた。それなりに生意気な口を利くようになった今でさえ、志鶴の庇護欲(ひごよく)をかき立てることに変わりはない。
「なんだお姉ちゃん、仕事の悩みがあるのか」
食事をしながらタブレットで朝刊をチェックしていた父親が顔を上げ、口を開いた。
「あ、うん……ちょっとね」
「お父さんでよければ相談に乗るぞ。ダイエットの助言はできないし、法律のことはわからないけど」
「……大丈夫。ありがと」
志鶴の父親は中堅食品メーカーで経理の仕事をしている。職場結婚だった母親は結婚を機に退職し、子育てが手を離れてからはフラワーアレンジメントの教室でアシスタントの仕事をしていた。妹の杏はごく普通の中学生だ。
志鶴は家で仕事の話をしない。守秘義務もあるが、刑事弁護の世界とは無縁の生活を送る家族に話しても理解できないだろうと思うからだ。
高校生の志鶴が弁護士になると宣言したとき、どちらかといえば保守的な性向の母親は、否定的な反応を示した。もっと「普通の」仕事に就いた方がいい、というのが彼女の意見だった。
彼女が言う普通の仕事で日々務めを果たしている父親は、志鶴の考えが理解できなかったとしても、それを支持し、大学のみならず、ロースクールの学費まで出してくれた。
父親よりきつい気性を有する母親は、司法試験に挑戦する志鶴の邪魔こそしなかったが、応援もしなかった。合格したときにはさすがに祝福を口にしたものの、志鶴が弁護士になってから、娘の仕事に興味を示したことはない。
だが、根掘り葉掘り聞かれるよりはよほどましだ。志鶴はそう割り切っていた。
「そうか」父親が言った。「でも、社会人の先輩として一つアドバイスをしていいかな?」
「何?」