◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第71回

川村という女性弁護士から助言された「黙秘」。刑事たちの反応は?
するとノッポは驚いた様子で、後ろにいる係長やボスの方を見た。係長やボスは彼に険しい表情を返した。ノッポは慌てて淳彦に向き直り、なぜいきなり黙秘するのか、とか、訊かれたらまずいことでもあるのか、とか、死体遺棄を一度は認めたのに今から否認に転じるのか、などと言ってきた。が、淳彦は、川村弁護士と練習したとおり、その質問にも答えないようにした。ただ、弁護士に言われてそうしているのか、と訊かれたときだけは彼女のアドバイスに従って「はい」と答えた。
ノッポは振り向いた。係長が手招きした。ノッポは席を立ち、彼らの方へ向かった。開いたままのドアの外、パーティションの向こうから別の刑事が入ってきた。その刑事とノートパソコンで記録している刑事を残し、ボスと係長とイガグリ、ノッポの四人がパーティションの向こうへ消えた。
新たに入ってきた刑事と、ノートパソコンの前の刑事が淳彦を見張る。しばらくすると出て行った四人が戻り、入れ替わりに、新たに入ってきた刑事が出て行った。
ノッポがまた淳彦の正面に座った。取調べを再開する前に、淳彦をにらみつけた。カメラの死角を利用して威圧をかけているのだろう。そして口を開いた。
「どうして心を閉ざしちゃうかなあ。本当のこと話してもらわないと困るなあ」苛立(いらだ)ちが隠せていなかった。
淳彦は黙っていた。
「弁護士の言いなりでいいの? あなた自身の意思はどうなの? 本当にそれでいい? 亡くなった絵里香さんに悪いと思わないの?」
その質問にも答えなかった。ノッポはさらに、間を置きながら言葉を重ねた。
「裁判になったとき、心証っていうのがあるんだけど、正直に話さないと裁判官や裁判員の心証は悪くなるよ。当然罪も重くなる」「何か意味があると思ってるようだけど、はっきり言ってこんなことしても無駄だよ。警察はきちんと捜査して、証拠があるからあなたを逮捕したの。黙ってても、犯した罪から逃げられないよ」「黙秘するってことはさ、反省してないってことだよね? そんな態度でお母さんに顔向けできる?」「勘違いしてるかもしれないけど、取調べっていうのは、あなたのためでもあるわけ。そっちの言い分を言ってもらわなきゃ、こっちだってあなたに協力してあげることはできないよね?」「きちんと話せば罪も軽くなる。黙秘なんかしてたら最悪死刑もあるよ──」
だが淳彦は黙秘を続けた。これまでの係長やボスの追及と比べればまだ耐えることができたし、否認して罵倒されるより、黙秘すると言って何も答えずにいる方が消耗もしなかった。初めてこの取調室で息がつけたような気がした。
どれくらい時間が経(た)ったろうか。ノッポが口をつぐみ、さっと後ろを振り返った。腕組みしてこちらを見ていたボスが、ノッポに向かって厳しい顔でうなずいた。ノッポが向き直り、淳彦をいまいましげににらみつけ、言った。
「──今日の取調べはここまでにする」
パイプ椅子の腰縄を解かれ立ち上がるよう促されたとき、淳彦は不意に恐怖を覚えた。朝のボスの「儀式」しかり、カメラが回っていないところでは何をされるかわからない。
だが取調べのあと、ボスも係長も淳彦を脅したりこづいたりすることはなく、むしろ無視するような態度を取った。淳彦は留置場に戻されたがまだ半信半疑だった。
夕方、留置官がやってきて自分の番号を呼んだとき、すわまた取調べかとわれを失いかけた。だがそれは川村弁護士による接見の呼び出しだった。接見室で彼女に黙秘できたことを話したとき、やっと成功を実感できた。
しかし喜べたのは一瞬だけで、淳彦はすぐにでも自分を助け出そうとしてくれない彼女への怒りを蘇(よみがえ)らせ、溜まっていたうっぷんをアクリル板越しにぶつけていた。
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