◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第74回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第74回

断章──増山 12
「それが君の弁解か?」淳彦の言葉を聞いて検事の表情は暗くなり……。

「君にはなかなか素直なところがあると私は思っているよ」岩切検事が続ける。「中学生くらいの女の子が好きだとはっきり認めたし、中学時代にひどいいじめに遭って、それが原因でその後の人生も思うようにならなかったとも言っていたね。人に誇れるような仕事に就いて十分にお金を稼ぎ、結婚して子供を作ったりしているかつての同級生たちをうらめしくもまぶしくも思っていることも正直に話してくれた。検察官という仕事の経験から私が学んだのは、犯罪を犯してしまう人間は運が悪いということだ。環境とか人間関係とか、心身の病気とか、そうした理由によってふとしたことから、自分でもどうしようもなく一線を踏み越えてしまう。そういう人間をたくさん見てきたよ。君もそうなんだよな、増山?」

 淳彦を見る岩切検事の目には、慈悲を感じさせる光があった。

「中学時代ひどいいじめに遭った君は、中学高校と、一番いい時期に異性と触れ合う経験を持てないまま大人になった。いつまでも中学生の女の子に執着するのはその欠落感からなんだよな。その年頃の女の子と付き合うことができれば、胸のなかにぽっかり空いた大きな穴を埋めることができる、同世代と比べて惨めな自分の人生も、ひょっとしたら好転するかもしれない。自分を馬鹿にしていた連中を見返してやることさえできるかもしれない。そう考えるのも無理はない。君がそう思わざるをえなくなった事情について、むしろ私は大いに同情しているのだよ」

 驚いた。岩切検事の言葉には、自分の心を言い当てている部分もあったからだ。

「今日君は、黙秘はしないと私に約束してくれた。検察官によるこの調べは弁解録取と呼ばれている。君に何か弁解があれば聞こうじゃないか、増山淳彦。弁解というと言い訳のようだが、そうじゃなく本当のことを語ってくれてもいいんだよ」

 岩切検事はそう言って、まっすぐに淳彦の視線を捉えた。

 息を吸った。ひょっとしたら──ひょっとしたら、やはりこの人なら自分の言い分に耳を傾けてくれるかもしれない。そんな気がした。どうやったらわかってもらえるだろう? 自分の頭の悪さがもどかしく、大人の男の前では萎縮してうまく話せなくなってしまう小心さがうらめしかった。

「俺──」考えもまとまらないままに口を開いていた。「そもそも行ってないんです、まずあの河川敷に。もう何年も」

 岩切検事がじっとこちらを見る。

「それが君の弁解か?」

「はい」

「そうか──それは残念だ」岩切検事の表情が暗くなった。「君は荒川河川敷の現場に、綿貫絵里香さんの遺体を遺棄した事実を認めた。これは揺るぎない真実だ。さらに現場で君のDNAと一致する煙草の吸い殻が発見されている。これも最新科学に裏づけられた絶対的な真実。であるにもかかわらず、君はその現場へ行ったことはないと主張する。君が今しているのは、まったく道理の通らない、不合理極まりない否認ということになる。百人いれば百人がそう思うだろう。私には無知無責任としか思えない弁護士が何を考えて助言したか知らないが、断言する。君の主張を筋が通っていると納得する裁判官も裁判員も一人もいないだろう。むしろ、そこまでごり押しの否認をしなければならないことこそ真犯人である証拠だという確信を強める」

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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