◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第75回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第75回

断章──増山 13
取調室で刑事に地図を見せられた淳彦は、〝その日〟のルートをたどる。

 

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 それが昨日のことだった。

 カメラを背にしたボスは、正面に座ると淳彦に向かって微笑みかけた。

「では今日の取調べを開始する」ボスが口を開いた。「まず、綿貫絵里香さんを星栄中学校の前で待ち伏せし、荒川河川敷に連れて行くところまでの状況について聞かせてもらう。いいな?」

「……はい」淳彦は答えた。

「うん、いい返事だ」ボスが満足そうに言う。「販売所の店長は、二月二十日は通常どおり五時過ぎには夕方の作業が終わり、君も退勤したと証言してる。そうだよな?」

「はい」

「そのあとはどうした?」

「え、ええと、販売所を出て、自分の原チャリに乗って……」いったん言葉を切って、舌で唇を湿した。「せ、星栄中学校の方へ──」

「星栄中学校へ向かった?」

「……はい」

「ふむ。そのときのルートを教えてもらえるかな。ここに現場周辺の地図がある。このペンで描き込んで」

 ボスは淳彦の前に、地図をコピーした大きな紙と、赤い色のペンを出した。淳彦はペンを取り、地図を見て考える。地図には淳彦が勤める新聞販売所と星栄中学校のところにそれぞれ星印がつけられ、「販売所」「星栄中学校」と書かれていた。

 ふだん淳彦は、販売所から星栄中学校へは新聞を配達するルートに従って向かっている。よく知っているのはその道順だ。が、曲がりくねっていて無駄が多い。ここでそれを描くのは不自然だろう。

 淳彦は、最短距離のルートに目星をつけ、それに従って販売所からペン先を動かしていった。するとT字路の角を曲がったところで、ボスが「ん、んんっ、違うんじゃないか?」と言い、淳彦はペンを止め、顔を上げた。

「今曲がったところ、一方通行の出口だよな」ボスが言う。「原付は入れない。君はふだん一通の逆走もしてるのか?」

 淳彦は首を振った。

「だったらそっちに曲がってないだろ。とすると、どうなる?」

 淳彦はT字路を曲がらず、直進するルートを選んで少しペンを動かしてから、ボスを見た。

「うんうん、そうだろう。そうでないとおかしいじゃないか」ボスがうなずいた。

 淳彦はそれから、ボスの視線と表情をうかがいながら、慎重に赤線を描き込んでいった。途中からはよく知る道になったので、自信を持って描き進める。ボスにそれ以上注意されることなく星栄中学校にたどり着くことができた。

「なるほど、そういうルートか」ボスはうなずいている。「時間はどれくらいかかった?」

「……え?」

「時間だよ。販売所から星栄中学校まで」

 淳彦は考える。「五分くらい……?」

「五分で着く、かな。信号も何ヵ所かあるぞ」

「じゅ、十分……?」

「そうか。五分から十分、と。まあその間だろうな」

「はい」

「ソフトボール部の練習が終わる五時半より前には星栄中学校に到着していた、っていうことでいいんだな?」

「はい」

「君が星栄中学校に着いたとき、グラウンドではソフトボール部が練習していた?」

「……だったと思います」

「君はそれをグラウンドの外から見ていたんだな? どこで見てた?」

「外……?」

「外はわかってる。グラウンドのどちら側にいたかを訊いてる」

 淳彦は口ごもった。

 ボスは手元のファイルから新たなプリントを取り出して地図と交換した。

「星栄中学校の見取り図だ。これがあった方が思い出しやすいだろう。君がソフトボール部の練習を見ていた場所に × 印をつけてくれ」

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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