◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第76回

増山の勾留理由開示を請求する志鶴。そこに秘められた本当の狙いは──。
第五章──狼煙
1
「勾留理由開示請求?」田口(たぐち)が聞き返した。
「ええ」志鶴(しづる)は答える。
三月二十一日午後三時過ぎ。秋葉原の事務所の会議室。都築(つづき)を交えた弁護団の打ち合わせの席だった。
「あんな茶番をか?」
「茶番でも、です」
勾留されている被疑者は、裁判所に勾留の理由の開示を請求できる。憲法や刑事訴訟法でそう規定されているのは、被疑者が不当な勾留に対して抵抗する権利を守るためと考えるのが自然だろう。ところが実際には、勾留理由開示請求をしても、被疑者の勾留の必要性が見直されたり、身体拘束から解放されたりすることはまずありえない。それどころか、裁判官が被疑者を勾留すべき具体的な理由を開示することさえないのが普通だ。あったとしても、「一件記録によれば、被疑者には逃亡のおそれ、罪証隠滅のおそれがあると認められる」といった定型文を読み上げるだけ。この手続が名ばかりのものであるのは弁護士にとっては常識だ。
「意義はあると思う」都築が言った。「一つは、増山(ますやま)さんに、接見禁止を解かれていないお母さんの顔を見せること。われわれが毎日接見しても、たった一人の血を分けた肉親に代わることはできない。増山さんは精神的に限界を迎えている。このままでは半年前の事件についても、捜査官に強いられて虚偽自白をしてしまう可能性が高い」
「マスコミの報道に燃料をくべてやるつもりですか?」
勾留理由開示は公開の法廷で行われる。被疑者である増山も出廷し、傍聴席には記者席も用意される。
「情報のコントロールという点では無論リスクもある。だが増山さんが不本意な自白をしてしまうことの方が喫緊かつ重大な問題だ。それに、今回は報道を逆手に取るつもりだ」
「というと?」
「それこそ最大の目的だ。被疑者の意見陳述で、増山さんの口から無実を主張してもらう。黙秘の意思が尊重されず、自白を強要されたと」
「マスコミや世間が増山氏の言い分を信じるとでも?」
「マスコミはこれまで一方的に捜査機関の言い分を報道してきた。増山さんもわれわれもやられっぱなしだった。彼らや世間が信じようが信じまいが関係ない。これがわれわれの反撃ののろしとなる」
「陳述の内容は調書として記録化もされます」志鶴は補足した。
「──二人の間では論決済みと」田口が口の片端を上げた。「私にはどこまで意義があるか疑問だが、お手並み拝見といこう」
打ち合わせのあと、志鶴は早速裁判所に勾留理由開示請求書を出した。請求を受けた裁判官は開示期日を定める。請求を受けた日から期日までの間には、原則として五日以上空けることはできない。今日は水曜日で、期日は五日後、週明けの月曜日と決まった。都築は、初めて増山に接見した際、勾留理由開示期日のことをあえて伏せた言い方で母親と会わせると約束したが、そのとき予告した日時よりは早めることができた。
足立南署の接見室で会った増山には生気がなかった。今日は、綿貫絵里香(わたぬきえりか)を待ち伏せ、殺害した状況について、警察の誘導に従って自白してしまったと、涙ながらに語った。
- 1
- 2