◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第77回

公開の法廷で行われる勾留理由開示。志鶴は増山と準備を進めるが……。
「マスコミは警察や検察の側に立っています。でも、勾留理由開示の場で増山さんが発言すれば、その内容はきっと報道する。それは警察や検察、ひいては現場の取調官に対するけん制として働くはずです。被疑者の声が表に出にくいことも、取調官が密室で好きにできる大きな理由の一つ。取調官が不当な取調べを行っているなら、大っぴらにするべきです──自分の身を守るためにも」
増山の呼吸が荒くなった。
「人前でうまく話せるか不安でも問題ありません。ここで増山さんのお話を聞いて、私が書面を作ります。増山さんは本番で、その書面を読み上げるだけでいい。まずは書面だけでも作成しませんか?」
増山は答えなかった。葛藤しているようだ。
「増山さんは、取調官に無理強いされて不本意な自白をしたんですよね?」
増山がうなずいた。
「裁判で、裁判官や裁判員にそれを認めさせないと、無罪を勝ち取ることは絶対にできません。そのハードルはすごく高い。わかりますよね。裁判になってから、自白が無理強いされたものだったと訴えても遅いんです。取調べを受けている最中の今、その詳しい事情を勾留理由開示の場で話せば、証拠として残る。逆に、それなしに裁判での逆転は限りなく困難です」
増山の顔から血の気が引いた。「……む、無理だ」
いったん強要されるままに虚偽自白してしまうと、被疑者がそれを撤回するのは難しい。取調官は、虚偽自白をした被疑者にはうわべだけでも優しく振る舞うようになるからだ。否認に戻れば、取調官にまた連日厳しく追及される。被疑者にしてみれば、生き地獄へ引きずり戻されるに等しい。
生殺与奪の権を握られたにも等しい代用監獄下で苦しむ被疑者の目に、弁護士が、安全な場所から無理難題を吹っかけるお気楽極楽な稼業と映っても不思議ではない。だが、自分は憎まれようが恨まれようがかまわない。増山には勾留理由開示期日の法廷で何としても意見陳述をしてもらう。もうあとがないのだ。
「書面だけでも準備しておきましょう。増山さんも、お母さんの顔を見たら気が変わるかもしれませんよ。その場で増山さんが無実を主張しなかったら、殺人の罪を認めたことになる。お母さんはどう思うでしょうか」
増山が眉根を寄せた。目が泳いだ。「う、う……」
「そのときになって増山さんの気が変わっても困らないよう、書面だけ作っておきましょう。いいですね?」
増山が、おずおずと志鶴を見た。
「いいですね?」
増山が、瞳孔を開いたままうなずいた。
志鶴はペンを取り、書面を作成するためのヒアリングを始めた。
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