◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第77回

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第五章──狼煙 02
公開の法廷で行われる勾留理由開示。志鶴は増山と準備を進めるが……。

 

 増山の口から、すでに聞いていた以上の取調官による不当な行為を聞き出すことはできなかった。それでも書面を作ることはできる。いずれにせよこのヒアリングは、取調べで強要された自白とは異なる、増山の自由な供述を弁面調書として証拠化するためにも必要だ。

 接見を終えた志鶴は足立南署を出、タクシーで増山の実家へ向かった。取材陣の数は昨日と変わらぬようだ。志鶴は電話でアポイントメントを取っていたが、増山家の窓に明かりは見えなかった。不安に思いつつインターホンのボタンを押すと、増山文子(ふみこ)の声が応じ、しばらくしてドアが開けられた。やはり室内の照明はついていない。暗がりで、やつれた文子の顔は幽霊のようにも見えた。

「明かり、つけないんですか?」ドアを施錠したあとで志鶴は訊(たず)ねた。

 すると文子は笑ったように見えた。眼鏡の奥で目が光る。

「暗い方が集中できるから……」

 どういう意味だろうと思ったとき、志鶴の耳が物音を捉えた。居間の方からだ。文子が背を向けたので志鶴も靴を脱いで廊下へ上がり、文子に続いて居間へ向かった。

 物音の発信源はテレビだった。明かりの消えた部屋で、テレビの画面だけがにぎやかな光を放っていた。映っているのはアニメだ。きらびやかな衣装に身を包んだ少女たちが、ステージの上で激しく踊り、歌っている。

 昨夜、嫌がらせの郵便物が積み上げられていたローテーブルの上に、今日はDVDのケースが積み上げてあった。アニメの絵柄が描かれたパッケージばかりだ。

「……『マジカルアイドルプリンセス』っていうんですよ」文子がぼそっと言った。

「え?」

「……息子のこと、一緒に暮らしていながら、何にも知らなかったな、って」文子の眼鏡のグラスにアニメが反射している。「あ、座ってくださいね」

 どこか呆(ほう)けているようにも見えた。

「明かり、つけてもいいですか?」

 文子は、テレビの画面に目を奪われたまま、答えなかった。志鶴はもう一度声をかけた。文子がこちらを向いた。

「明かり……? あ、はいはい。つけますね」文子が照明をつけた。

 志鶴はソファに腰を下ろした。「お話、しても大丈夫ですか?」

「ええ……」魂が抜けてしまったような声だ。

 志鶴はテレビの画面に目を向けた。その視線に文子が気づく。

「あ……消した方がいいかしら?」

「お願いします」

 文子がDVDを停(と)め、テレビを消した。ソファに座った彼女の目が自分の目と合うのを待って口を開く。

「昨日少しお話しした、勾留理由開示請求のこと、覚えていらっしゃいますか?」

「……あ、はい。あの子に会えるって」

「今日請求して、日程が決まりました」

「い、いつですか……?」目に意志の光が戻ってきた。内心ほっとする。

「来週の月曜日です」

 文子が息を吸いながらうなずいた。「あと……五日、ですね。やっと淳彦(あつひこ)に」

 目が潤んだ。

「気持ちはお察ししますが、安心するのはまだ早いです。淳彦さんにはその場で無実を主張してもらわないといけないのに、できるか不安なようでした」

「そんな──」

「ですから──お母様にもやっていただくことがあります」

(つづく)
 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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