◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第78回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第78回
第五章──狼煙 03
請求から五日後の東京地裁。増山の意見陳述のほかにもある懸念があった。

 勾留理由開示請求をしてからの五日間、志鶴は土日も含めて毎日増山に接見した。増山は殺人の疑いでまた検察に送致されて岩切(いわきり)検事によって検面調書を取られ、別の日には警察官により綿貫絵里香の死体遺棄現場へ連れて行かれ「引き当たり」もさせられている。虚偽自白を維持したまま、否認に転じることも黙秘もできず、引き当たりでも警察官の誘導のままに虚偽の自白をした。このままでは半年前の事件についても自白を強要されるのは確実だ。そうなれば裁判で無実を勝ち取れる可能性はおそらくゼロになる。

「おはようございます」志鶴は笑顔を作った。「もうすぐお母さんに会えますね」

 増山の目の焦点が合った。「……どうだった?」

 志鶴は自分のスマホを見た。「まだ連絡はありません」

 増山が舌打ちして唸(うな)った。

 三日前。志鶴は増山に、勾留場所について準抗告を行うことを告げた。

 一度は黙秘に成功した増山がふたたび虚偽自白に転じた最大の原因は、取調べを行う警察の管理下にある留置場に勾留されているからに違いない。都築と志鶴はそう判断していた。本来、逮捕された被疑者の身柄は拘置所に移送されなくてはならない。代用監獄はかつての監獄法、現在では刑事収容施設法にもとづく例外的処置のはずだが、日本では当然のように留置場での勾留がまかり通っている。被疑者の身柄が拘置所へ移送されるのは、ほとんどの場合、検察官による起訴が行われたあとだ。捜査機関の思惑や便宜が優先され、裁判所もそれを認めているとしか思えない。

 身柄を扱う裁判官には、職権を発動して増山の身柄を拘置所へ移送するようすでに申請していたが、却下されていた。増山の勾留を認め、志鶴が抗議しても接見禁止を解除しなかった裁判官が、今回も壁となって立ちはだかったのだ。

 だが準抗告を打てば、裁判所は原審の裁判官とは異なる三人の裁判官から成る合議体によって審判しなければならなくなる。もっとも、勾留に対する準抗告が却下されたように、勾留場所についての準抗告審も一筋縄ではいかない。移送を認めさせるために、代用監獄下で増山がいかにひどい圧迫を受けているかを示すことが必要だった。

 志鶴は増山に、これまで自分たちに話していない、取調官や留置官によるひどい行為があれば教えてくれるよう頼んだ。すると──増山の重い口が開いた。

 志鶴は増山から聞き出した内容を元に申立書を作成し、その日のうちに準抗告の申立てを行った。身柄に関わる裁判の場合、夕方以降に申し立てたものの審判がその日のうちに下されることは珍しくない。が、金曜日遅くの申立てに対して、裁判所からは判断を週明けに先送りするという連絡があった。

 舌打ちしたいのは志鶴も同じだった。増山は、勾留理由開示法廷での意見陳述に抵抗を感じている。拘置所への移送が決まっていれば、勇気を得たに違いない。

「準抗告のことは、いったん忘れましょう」志鶴は言った。「まずはやるべきことに集中です。法廷で私が書面を渡します。増山さんはそれを、練習したとおり、ゆっくり読み上げてください」

「け、けど……もし拘置所へ行けなかったら?」

「それでもやるしかありません」

 増山が渋い顔で黙り込んだ。

「お願いします。お母さんのためにも」

 増山は最後までうんと言わなかった。

(つづく)
 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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