◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第80回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第80回
第五章──狼煙 05
どよめく傍聴席。志鶴も予期していなかった文子の意見陳述がはじまる。

 増山文子は、コートの下に水色のワンピースを着ていた。膝上丈のミニで、裾と手首から白いフリルが覗いている。ウェストには幅広のベルト。どう見ても七十代の女性が着ることを想定して作られた服ではなさそうだ。ミニスカートから膝下までの白いロングブーツの間には、たるんでしわやシミの目立つ脚があらわになっている。青いウィッグとあいまって、文子の全身から強烈な違和感が醸し出されていた。彼女がこんな格好をするとは志鶴も知らなかった。都築も驚いているようだ。田口も眉を上げていた。志鶴は、衝撃を顔に出さないよう努力する。何でこんな──と思いかけて、一つの可能性に気づいた。

 傍聴席から失笑や苦笑とおぼしき声が上がった。増山は自分の母を見て、目と口をあんぐり開けている。両側の警察官は笑いを抑えるのに苦労しているようだ。裁判官は眉根を寄せた。

「……意見を陳述するのに、そのカツラは必要ですか?」

「はい」文子が答えた。顔が上気し、緊張しているように見えるが、彼女は堂々としていた。傍聴席の反応も気にしていないようだ。

 志鶴は立ち上がった。「法廷内でのウィッグの着用は禁止されていません。当然の権利です」

 裁判官はまだ何か言いたげだったが、「では、どうぞ。十分以内で」と文子に言った。

 文子は増山を見て、口を開いた。

「……そこで手錠をされて座っているのは、私の息子です。十三日前、朝ご飯を一緒に食べたあと、事情聴取のため警察に連れて行かれ、その日に逮捕されました。警察から連絡が来て、テレビのニュースでも観(み)ました。でも私には信じられませんでした……というより、何が起きているのかよくわかりませんでした。私の息子、淳彦は、とてもそんな……人殺しなんて、そんなことができる人間ではありません」

 話しぶりはしっかりしていたが、ここで彼女の声が震えた。

「淳彦は、中学生のときひどいいじめに遭って、学校へ行けなくなったことがありました。暴力を振るわれても、やり返すこともできなかったんです。勉強も運動も苦手で、人づきあいも得意じゃありませんが、他人に暴力を振るうようなことはしません。体こそ大きいけど、臆病な子なんです。ホラーっていうんですか? 怖い映画がテレビでやってても観られないくらいで。新聞配達の仕事を毎日こつこつ真面目にやって、趣味のアニメを楽しむ。夜遊びをしたりすることもなく、規則正しくおとなしい暮らしを送ってきました。もし……もし、万が一、今疑われているようなことをやっていたら、毎日一緒にいる私がわからないはず、ないんです。事件があったという日の前後も、淳彦の様子はいつもと変わりませんでした。だから、逮捕されたと聞いたとき、私には、何が何やら……」

 文子が言葉を詰まらせた。増山の顔が大きくゆがんだ。文子が眼鏡の奥で目をしばたたき、裁判官を向いた。

「弁護士さんから、淳彦が自白してしまったのは、きつい取調べに耐え切れなかったからだって教えてもらって、初めて、淳彦の身に何が起きたのか、わかったような気がしました。いじめられて、やり返すこともできず学校へ行けなくなったような気の弱い子がそのまま大人になったんです。刑事さんたちに囲まれて、お前がやったんだろうって責め立てられたら、やっていないことでも『やりました』って認めてしまっても不思議じゃありません──」

 文子が増山を振り向いた。増山が下を向いた。歯を食い縛っているようだ。文子が眉を曇らせた。いったん目を閉じてから、開いた。

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。