◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第83回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第83回
第六章──目撃 01
遺体遺棄現場の周辺を歩き回る志鶴。被疑者に有利な証拠は見逃されがちだ。

「漂白」目次


 

 第六章──目撃

 
     1 

 志鶴(しづる)が用件を告げると、レジにいた外国人らしき女性店員が、バックヤードから店長を呼んできた。コンビニチェーンの制服を着た四十代くらいに見える男性で、土気色をした顔の目の下にべっとりくまが張りついていた。

「何でしょう」すがめた目が、面倒ごとはごめんだと雄弁に語っている。

 志鶴は名刺を渡して身分を告げた。

「二月二十一日、この近くの荒川河川敷で女子中学生が遺体で発見されました。私は、その事件で容疑者として逮捕された男性の弁護人をしています」

 店長が名刺から顔を上げた。「で?」

「こちらの店舗には外と内に一台ずつ、防犯カメラがありますよね? 事件前日の録画データを見せていただけないでしょうか」

 店長は志鶴の名刺を突き返して舌打ちした。

「ったく。勘弁してくれよ。やっと寝られたと思ったら」

「……お忙しいところ、恐縮です。ご協力いただけませんか?」

「警察の仕事だろ、そんなの」

「警察は、自分たちに都合のいい証拠しか使いません。私は、無実の依頼人のために、いわれのない罪を晴らす証拠を探して──」

「知ったこっちゃないね!」店長は片手で髪の毛をかきむしった。「生きてくのに精いっぱい、人のことを考えてる余裕なんかないんだよこっちは。はい!」

 店長は、志鶴の鼻先に名刺を突き出した。志鶴は受け取らず、

「もし気が変わったら──」

「ない」店長がさえぎった。「気が変わるも何も、そんな昔のデータなんか残ってないって」

 志鶴が口を開く前に、店長は名刺を放してくるりと背を向け、バックヤードへ戻っていった。志鶴は落ちた名刺を拾い上げ、レジの女性店員に会釈して外へ出た。

 スマホの地図アプリを開き、ピン留めしたコンビニ店に「防犯カメラ映像データ消去済み」とメモする。

 増山淳彦(ますやまあつひこ)の母・文子(ふみこ)が、法廷で美少女アニメのコスプレをして騒然となった勾留理由開示期日の四日後、志鶴は、パラリーガルの森元逸美(もりもといつみ)と共に、死体遺棄現場付近で聞き込みを始めていた。

 起訴前の段階では、警察や検察などの捜査機関がどのような証拠をつかんでいるのか弁護人にはわからず、推測するしかない。捜査機関が捜査して得た証拠の開示を請求できるのは、起訴後になる。

 だが、捜査機関が収集している証拠は、基本的に彼らの主張を強化するものだと考えるべきだ。被疑者や被告人にとって有利な証拠は見逃されることが多いし、そもそも弁護側でなければ収集しようと思いつかないものもある。弁護側に立証責任はないが、そうした証拠を積極的に収集しなければ、検察側に対抗するのは難しい。

 起訴前の捜査段階であっても、データの保存期間との関係で速やかに動かなくてはならないのが、防犯カメラ映像や携帯電話の履歴だ。とくに防犯カメラ映像は一般に携帯電話履歴より保存期間が短い。一刻も早く取りかかりたいところだったが、抱えているのは増山の案件だけではない。やっと今日時間の算段がついた。

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

今月のイチオシ本【デビュー小説】
知念実希人『十字架のカルテ』