◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第87回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第87回

第六章──目撃 05
「最悪な状況にも、一ついい面がある」都築は文子に〝ある狙い〟を語る。

 

 拘置所を出ると、志鶴と都築は、足立区にある増山の家へタクシーで向かった。

 静かになっていた家の周囲には、久しぶりに大勢のマスコミの姿があった。志鶴と都築にカメラを向け、フラッシュを浴びせ、シャッターを切る彼らの間を抜けた。玄関で迎えた文子は無言で二人に向かってうなずきかけた。覚悟の決まった顔だ。

 リビングのソファに座り、増山から受け取った起訴状をテーブルに置いて文子に向ける。

「この『公訴事実』以下に、検察官が、淳彦さんが犯したとみなしている罪状について書かれています」志鶴は説明した。「ご覧のとおり、淳彦さんは二人の被害者──浅見萌愛さんと綿貫絵里香さん──について、それぞれ殺人と死体遺棄の罪を問われています」

「よくもまあ、こんなでたらめをもっともらしく……」文子が眉を険しくした。書面を持つ指が震えている。

 増山同様、いくら覚悟していたとはいえ、衝撃を抑えきれずにいるようだ。

「お母さんがあきれるのも、もっともです」都築が言った。「普通の人は、警察や検察が間違うことなんてないと思って暮らしている。実際こういう目に遭って初めて、そうじゃないことがわかるんです。国家権力が犯す冤罪(えんざい)ほど恐ろしい犯罪はありません。われわれも、何としても起訴させまいとあらゆる手を打ってきた。でも阻止できなかった。残念です」

「先生──」文子が都築を見つめた。「川村(かわむら)先生と都築先生が、淳彦のためにどれだけ親身になってくださったか、私が一番よく知ってます。先生方は、こうなることも見越してらした。ちゃんと準備してくださってると信じてます」

「任せてください。お母さんは今、気丈に振る舞ってらっしゃるが、内心では、こんなひどい現実を受け入れられないはず。それが自然です。一人息子が、やってもいない殺人の濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)を着せられるなんて。一件でさえ認めがたいのに、まして二件まで。そう思っているはずですね。でも、この最悪な状況にも、一ついい面がある」

「いい面……」

「そう。検察官が、検察のメンツや自分の功名心のため欲張って、綿貫絵里香さんだけでなく、浅見萌愛さんの殺人の罪まで、淳彦さんにかぶせようと起訴したことです」

「それが何で……?」

「端的に言って、公訴事実を増やせば穴が増える、ということです。被告人が犯罪を犯したことを裁判で立証する責任は、検察側にある。公訴事実が増えれば、立証しなければならない事実も増える。弁護側の闘いは、彼らの主張を突き崩すこと。われわれから見ると、公訴事実が多ければ、それだけ攻撃できる敵の急所が多いとも言えるわけです」

 本当はそんなに簡単ではない。文子を安心させるための方便だ。が、あながち噓でもなかった。志鶴と都築はその点で意見の一致を見ている。

「ここからが本当の闘いになる。お母さんは、気をしっかり持って、淳彦さんを支えてあげてください」

 都築の言葉に、文子は力強くうなずいた。

次記事

前記事

里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

◎編集者コラム◎ 『ガラスの虎たち』著/トニ・ヒル 訳/村岡直子
◎編集者コラム◎ 『姉上は麗しの名医』馳月基矢